日本大百科全書(ニッポニカ) 「デビッドソン」の意味・わかりやすい解説
デビッドソン(Bruce Davidson)
でびっどそん
Bruce Davidson
(1933― )
アメリカの写真家。シカゴ生まれ。10代初めのころから写真を撮りはじめ、1951~54年ニューヨーク州のロチェスター工科大学で写真を学ぶ。54年から55年ロチェスターのイーストマン・コダック社に暗室技師として勤務。55年エール大学で絵画、哲学、写真を学ぶ。55年から57年の陸軍兵役中に『ライフ』誌に写真作品が採用され、除隊後1年間、同誌の契約写真家として活動する。
58年には弱冠24歳でマグナム・フォトスの最年少メンバーとなる。62年にはグッゲンハイム財団の奨学金を得てアメリカの公民権運動を取材。翌63年MoMA(ニューヨーク近代美術館)で「小人」The Dwarf、「ブルックリン・ギャング」Brooklyn Gang、「イングランド」Englandのシリーズを含む個展を開催。67年には写真家として初めて全米芸術基金から奨励金を得た。
デビッドソンは1966年から2年間、ニューヨーク、ハーレムの一角に足しげく通いつめ、当時ゲットーと呼ばれたきわめて貧しい地域に住む人々の姿を、4×5インチの大型カメラを使い尊厳を込めて力強く描き出した。この「イースト100番街」シリーズは、1970年にMoMAで大規模な個展として開催され、また同年同名の写真集として出版された。78年には過去20年間の作品をまとめた『ブルース・デビッドソン・フォトグラフス』Bruce Davidson Photographsが出版された。その後デビッドソンは初のカラー写真シリーズとして、80年ニューヨークの地下鉄の撮影を開始する。およそ5年間にわたって地下鉄という日常的な闇のなかにうごめく人々の姿を鮮やかな色彩でとらえたこのシリーズは、86年の写真集『サブウェイ』Subwayに結実した。このようにデビッドソンは一貫して虐(しいた)げられた人々やみすぼらしい場所のなかに、多様な美や尊厳を見いだしている。
その後、91年から95年までニューヨークのセントラル・パークの撮影に没頭する。35ミリ、パノラマ、中判カメラなど複数のサイズを織りまぜた写真集『セントラル・パーク』Central Park(共著。1995)には、さまざまな人間模様や四季折々の美しい景色が写しとられている。そこには、従来の作品に見られたような力強く「闇」にもぐりこむ迫力はなく、むしろ超越的とさえいえる崇高なビジョンが随所に立ち現れている。だが日ごろ目に留めないようなさまざまな人々の姿をとらえているという点では、必ずしもこれまでと大きく変わるものではない。
映画制作にも意欲的で、過去『リビング・オフ・ザ・ランド』Living Off the Land(1969)がアメリカン・フィルム・インスティテュートで1970年批評家賞を受賞し、『イサク・シンガーズ・ナイトメア・アンド・ミセス・ププコズ・ベアード』Isaac Singer's Nightmare and Mrs. Pupko's Beard(1972)は、73年アメリカン・フィルム・フェスティバルのフィクション部門で優勝している。
[竹内万里子]
『East 100th Street (1970, Harvard University Press, Cambridge)』▽『Bruce Davidson Photographs (1978, Agrinde, New York)』▽『Introduction par Bruce Davidson (1984, Centre National de la Photographie, Paris)』▽『Subway (1986, Aperture, New York)』▽『Brooklyn Gang (1998, Twin Palms Publishers, Santa Fe)』▽『Portraits (1999, Aperture, New York)』▽『Bruce Davidson, Elizabeth Barlow Rogers et al.Central Park (1995, Aperture, New York)』▽『『Magnum Photos Guide Book』(2000・マグナム・フォト東京支社)』▽『12 Photographers of the American Social Landscape (1967, Rose Art Museum, Waltham)』
デビッドソン(Basil Risbridger Davidson)
でびっどそん
Basil Risbridger Davidson
(1914―2010)
イギリスのジャーナリスト、歴史家。ブリストルに生まれる。1938年『エコノミスト』誌の東・南欧問題専門家として出発し、第二次世界大戦中は陸軍で活躍。戦後は『タイムズ』『ニュー・ステーツマン』紙などで国際問題に健筆を振るったが、1950年ころからアフリカに関心を向けた。『南部アフリカ報告』(1952)、『アフリカの目覚め』(1955)、『古代アフリカの発見』(1959)、『ブラック・マザー』(1961)、『アフリカの過去』(1964)、『アフリカ文明史』(1965)などでアフリカ史を再評価、『ギニアの解放』(1969)などで旧ポルトガル領の解放運動に深くかかわった。このほか、『ブラック・スター』(1973)、『現代史のなかのアフリカ』(1978)、『アフリカ』(BBC放送番組、1984)、『黒人の重荷』(1992)など、小説を含めて50冊近い著作があるが、アフリカ史の自律autonomyと植民地史観の排除を願う立場が一貫しており、人類史のなかでのアフリカの位置づけに果たした功績は他に類例がない。1960年代中ごろから、ガーナ大学、カリフォルニア大学、エディンバラ大学ほか多数でアフリカ史の客員教授を務めた。1985年、ダルエス・サラーム大学から名誉文学博士号を得ている。
[宮本正興]
『貫名美隆訳『アフリカの過去』(1978・理論社)』▽『貫名美隆・宮本正興訳『アフリカ文明史』(1978・理論社)』▽『内山敏訳『ブラック・マザー』(1978・理論社)』▽『B・デビッドソン他著、北沢正雄他訳『南部アフリカ』(1979・岩波書店)』