デラ・ドゥーン(読み)でらどぅーん(その他表記)Dehra Dun

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デラ・ドゥーン」の意味・わかりやすい解説

デラ・ドゥーン
でらどぅーん
Dehra Dun

インド北部、ウッタル・プラデシュ州北西部の都市。人口44万7808、周辺部を含む人口52万7859(2001)。ヒマラヤ山麓(さんろく)のシワリク丘陵に発達するドゥーンDunとよばれる構造性縦谷中にあり、ガンジス川ジャムナ川中間に位置する。デラ・ドゥーン県の県庁所在地であるとともに、陸地測量部、森林研究所、ヒマラヤ地質研究所など国立の研究機関も多い。鉄道の終点にあたり、ヒマラヤ山地各地へのバス交通の基地ともなっており、この地域の政治、教育、文化、交通、商業の中心となっている。この町の北に位置するムッスーリMussoorieは、避暑地としてヨーロッパ人によく知られている。

中田 高]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デラ・ドゥーン」の意味・わかりやすい解説

デラドゥーン
Dehra Dūn

インド北部,ウッタルプラデーシュ州北西部の都市。デラドゥーン県の行政庁所在地。シバーリク山脈山間盆地標高 670mに位置。 1699年にシク教寺院を中心に建設され,グルカー戦争後,1816年にイギリス領となった。首都デリーと中国国境との中間に位置するため,大規模な兵営がおかれ,陸軍士官学校などがある。製茶が主要産業であり,米,コムギ,雑穀,茶,木材などの取引中心地。森林資源の調査・研究機関,考古学研究所,カレッジ3校がある。北方 17kmの避暑地ムソーリの保養・観光基地でもある。人口 27万 28 (1991) 。

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