改訂新版 世界大百科事典 「トランスバール共和国」の意味・わかりやすい解説
トランスバール共和国 (トランスバールきょうわこく)
1910年の南アフリカ連邦成立以前のボーア人共和国の一つ。正称は南アフリカ共和国。現在は南ア共和国北東部のトランスバールTransvaal州となっている。1835年からのボーア人の内陸への大移動(グレート・トレック)の結果,バール川以北にボーア人の自治国が建国され,イギリス政府も52年のサンド・リバー協定によってこれを承認,M.プレトリウスが初代大統領となった。海への出口を持たない同国の財政は苦しく,政治的安定を欠いていた。これに目をつけたイギリス植民地相カーナーボンは77年同国を併合した。ボーア人は一致して反対し,ロンドンに代表を派遣して独立の回復をはかったが拒絶され,80年武装蜂起し(第1次ボーア戦争),81年2月マジュバの戦でイギリス軍を破り,独立を回復した。86年同国のウィットウォーターズランドで金の大富鉱が発見されると,イギリスは直ちに同国の併合を企てた。当時ケープ植民地首相であったC.ローズは,トランスバールのイギリス系白人(アフリカーンス語でアイトランダースと呼ばれた)を保護するという名目で,95年友人のジェームソンとその部下の軍隊を派遣したが失敗に終わり,ローズは責任をとって政界から引退した(ジェームソン侵入事件)。しかしイギリス植民地相のJ.チェンバレンは併合をあきらめず,A.ミルナーをケープ長官に任命し,トランスバールに対し露骨な内政干渉を行った。その干渉に耐えていたトランスバール政府も99年ついに開戦に踏み切った(第2次ボーア戦争)。開戦当初優勢であったボーア軍もイギリスが本国からおおぜいの援軍を呼び寄せたため,1900年6月首都プレトリアが陥落した。その後戦闘はゲリラ戦になり,イギリス軍は掃討作戦を展開,02年ボーア人はついに降伏し,トランスバールはイギリス直轄植民地となった。戦後南アフリカの統一化が進み,06年にはトランスバールに自治政府が認められ,08年に鉄道・関税協定が締結され,09年には連邦化のための憲法草案が審議され,10年に南ア連邦が結成された。
執筆者:林 晃史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報