日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレート・トレック」の意味・わかりやすい解説
グレート・トレック
ぐれーととれっく
Great Trek
19世紀前半、南アフリカのケープ植民地での、イギリス支配に反対したブーア人の内陸大移動。1814年のイギリスのケープ植民地化とイギリス制度の導入に反発して、34年オランダ系のブーア人は三つの偵察隊を内陸に派遣し、その報告に基づいて翌35年内陸への移動を開始した。まずトリハルトTrigardt Louis(1783―1838)らに率いられた一行が幌(ほろ)牛車で北に向かったが、リンポポ川付近でアフリカ人に殺された。ついで36年ポトヒェーターAndries Hendrik Potgieter(1792―1853)の一行が出発し、途中マリッツGerritt Maritzを隊長とするフラーフ・ライネット出身の農民も加わり、ンデベレ人と戦いながらバール川、オレンジ川の北方に定着した。ナタール(現クワズールー・ナタール州)に向かったレティーフPieter Retief(1780―1838)一行はズールー人と遭遇し全滅したが、後継者プレトリウスAndries Pretorius(1799―1853)は38年12月「血の河の戦い」でズールー人を破り、ナタールに定着しナタール共和国を建国した。しかし、イギリスは同国をケープ植民地の支配下に入れようとして42年軍隊を送り、翌年共和国は降伏した。ナタールでもイギリス支配を嫌ったブーア人が移動し、オレンジ川とバール川以北のブーア人と合流した。
最初イギリスはこれらも支配しようとしたが、彼らおよびバスト人やンデベレ人の抵抗にあい、財政負担のかかる植民地外の支配をあきらめた。そして1852年サンド・リバー協定によってトランスバール共和国が成立し、54年ブルームフォンテーン協定によってオレンジ自由国(現・自由州)が成立した。
[林 晃史]