改訂新版 世界大百科事典 「トルドビキ」の意味・わかりやすい解説
トルドビキ
Trudoviki
1905年革命に対するツァーリズムの譲歩として06年4月に開設された帝政末ロシアのドゥーマ(国会)の一党派で,勤労グループのこと。ナロードニキ主義的民主主義者の農民や知識人の代議士から成り,第1国会では107人,第2国会では104人の代議士が同派に所属していたが,07年の選挙法の改悪により同派の代議士は第3国会では14人,第4国会では10人に激減した。トルドビキは政治的には人民主権や普通選挙ならびに市民的自由を要求した。第1国会に同派が提出した《土地法要綱案》(104人の提案)は有名で,地主の土地を収用し,すべての土地を全人民の財産にし,土地問題の解決を農民自身に任せることを主張した。ひきつづき17年までこの土地綱領を堅持し,ストルイピン改革による農村共同体(ミール)の解体と農地の私的所有にもとづく小分割地農民創出の政策に強く反対した。トルドビキは国会内で,民主主義的綱領にもとづいて労働者や農民それから知識人などの無党派の大衆を統一することをめざし,独自の農民政党を結成することを望まなかった。ケレンスキーは第4国会のトルドビキ派の国会議員で,17年,二月革命以後エス・エル党に移り,やがて臨時政府首相になった。このころトルドビキ派は民主主義的共和国の樹立や憲法制定会議の召集を要求し,国家統一を維持するという条件付きの民族自決の原則を提起した。政治的にはナロードニキ右派の人民社会党(エヌ・エス)に近く,十月革命には反対する立場をとった。
執筆者:保田 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報