日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケレンスキー」の意味・わかりやすい解説
ケレンスキー
けれんすきー
Александр Фёдорович Керенский/Aleksandr Fyodorovich Kerensky
(1881―1970)
ロシアの政治家、ロシア革命時の臨時政府首相。1904年にペテルブルグ大学法学部卒業。政治事件関係の弁護士として活躍、1912年の第4国会で議員に選ばれ、トルドビキ(勤労派)に所属、その指導者となる。第一次世界大戦中は祖国防衛の立場をとる。雄弁をもって知られ、二月革命で結成されたペトログラード・ソビエトの副議長となるとともに、リボフ公を首相とする臨時政府の司法大臣として、ソビエトからただ1人入閣した。二月革命後はエスエル(社会革命党)に所属。その後、第一次連立政府の陸海軍相となり、「平和のための戦争」を兵士に説得したが、失敗に終わる。第二次、第三次連立政府では首相となる。彼は、最高司令官コルニーロフを中心とした右派の主張する将校権限や軍律強化を認めつつも、ソビエトの意向をも無視できず、大衆運動に対する弾圧は慎重に進めようとした。これを不満として起こったコルニーロフの反乱を、ソビエトの力を借りて粉砕し、以後は最高司令官を兼任するが、戦争、パン、土地などの問題を解決できず、大衆の支持を失った。十月革命によってソビエトに拠(よ)るレーニンらが権力を握ると、ケレンスキーは前線の兵士を獲得するため首都を脱出、クラスノーフ軍とともに首都を攻撃したが敗北し、1918年フランスへ亡命。1940年にはアメリカに渡った。亡命後はロシア革命の回想録や史料集の執筆、編纂(へんさん)にあたった。
[藤本和貴夫]
『倉田保雄他訳『ロシアと歴史の転換点――ケレンスキー回顧録』(1977・恒文社)』