ロシア皇帝の専制支配とその体制。ピョートル1世(大帝、在位1682~1725)以降のロシアの歴代皇帝は、「インペラートル」の称号をとったが、イワン4世(雷帝、在位1533~84)以降ロシア革命までの皇帝を慣用的にツァーリtsar’とよび、16世紀後半以降のロシアの無制限専制支配およびその体制をツァーリズムとよぶ。ピョートル1世、アレクサンドル1世の下で支配機構が整い、立法、行政、司法の最高権限は皇帝に集中していた。専制支配の社会的支柱は農奴制を基盤とする貴族(ドボリャンストボ)で、彼らが皇帝の官僚、軍隊、警察の幹部となった。
農奴制に拠(よ)る専制は、西欧の絶対主義と著しく性格を異にした。専制支配の下では、国民の人権も成立しなかった。ツァーリズムの典型ともいうべきものはニコライ1世(在位1825~55)の時代で、現行体制を疑問視すること自体を重罪とする刑法の下で、警察国家が出現した。専制支配は19世紀後半以降しばしば危機に直面したが、「上からの改革」で対処した。1905年革命後のドゥーマ(国会)開設にもかかわらず、帝権の立憲的な制限は完全には実現せず、17年革命までツァーリズムが国民を支配した。
[伊藤幸男]
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…これには,当時モスクワ大公の権威の強化を望んでいたロシア教会の働きかけもあり,ツァーリは神意による地上の最高・絶対の統治者で専制君主とされた。1721年ピョートル1世がインペラートル(皇帝)を正式の称号としたが,この君主観はその後も,ツァーリの呼称の慣習的使用とともに変わらず,ツァーリの専制権力とその家父長的支配を意味するツァーリズム(ロシア語ではツァリーズム)の観念もそこから生まれた。きびしい自然条件と地主や役人の収奪に苦しむ民衆(ナロード)は〈神は高く,ツァーリは遠し〉としながら,全能の君主に対する期待から,早くに〈父なるツァーリ〉という観念を生み,すでに17世紀はじめのスムータ(動乱時代)で偽ドミトリーが現れたが,その後もプガチョフの乱をはじめ多くの機会に僭称者(せんしようしや)や偽勅書が出て,民衆の期待を集めた。…
…続くフョードル3世の代にかけて行政の制度化・官僚化と西方文化の浸透が進み,ソフィア・アレクセーエブナの摂政期を経て,ピョートル1世のもとでロシア帝国に移行した。
【専制の理念と実際】
ロシア的専制(ツァーリズム)はモスクワ時代に生まれた。イワン3世は〈専制君主〉を称し,ときにツァーリの称号も使った。…
※「ツァーリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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