ナラヤン(読み)ならやん(英語表記)Jayaprakāsh Nārāyan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナラヤン」の意味・わかりやすい解説

ナラヤン
ならやん
Jayaprakāsh Nārāyan
(1902―1979)

インドの政治家、思想家。JPの愛称で親しまれた。ビハール農村下級官吏の家に生まれる。1922年奨学金で渡米。オハイオ大学で修士号を取得。その間マルクス主義を学ぶ。1929年帰国し、J・ネルーら国民会議派内左派グループに加わり、1934年の会議派社会党結成にも参加。1936年には『なぜ社会主義か』を執筆。第二次世界大戦中の1940年に戦争協力反対を表明して逮捕される。独立後1952年に人民社会党を結成。その後は、かつて批判したガンディー主義に接近し、しだいに政治を離れ、社会運動としてのサルボダヤ運動に取り組む。しかし、1974年にグジャラート、ビハール両州から始まった反政府運動では「全体的革命」を掲げて会議派インディラ・ガンディー首相の強権的政治に対抗し、JP運動の名を残した。翌1975年非常事態宣言下で逮捕される。1977年の第6回総選挙では、反ガンディー勢力を結集した人民(ジャナタ)党の精神的支柱として初の非会議派中央政権の成立を助けた。

[内藤雅雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナラヤン」の意味・わかりやすい解説

ナラヤン
Narayan, R.K.

[生]1906.10.10. マドラス
[没]2001.5.13. チェンナイ
インドの小説家,政治家。フルネーム Rasipuram Krishnaswami Narayan。英語で執筆し,架空の町マルグディを舞台に,そこで暮らす風変わりな人を描いて世界中の読者を魅了した。リベラルなタミル人家庭に生まれ,1930年マイソール大学マハラジャ校を卒業,教師や新聞記者を経て文筆業に専念する。1935年,初の小説 "Swami and Friends"の作中で,マイソールとマドラスを連想させる小さな町マルグディを誕生させた。グレアムグリーンはこの作品を出版社に推薦し,2人の交流はグリーンが亡くなるまで続いた。2度ノーベル文学賞の候補にあげられ,インドの上院議員も務めた。1958年発表の小説『ガイド』The Guideは最高傑作といわれ,インド国内で映画化もされた。ほかに,インド二大叙事詩を物語化した『ラーマーヤナ』The Ramayana(1972),『マハーバーラタ』The Mahabharata(1978)など。

ナラヤン
Narayan, Jaya Prakash

[生]1902.10.11. ビハール,シタブディヤラ
[没]1979.10.8. パトナ
インドの政治家,社会運動家。 1932年イギリス支配に反対して1年間投獄された。 34年国民会議派内に会議派社会党を創設。 48年会議派を離れ,52年人民社会党を結成。しかしその政策にあきたらず,54年ブーダン運動に身を投じ,57年政界引退を宣言。しかし,その後も政治に対する関心はもち続け,チベット・カシミール問題などでは独自の意見を表明。 74年ビハール州に反政府運動が起ると,精神の革命を含む「全面革命」を唱えて,政治の舞台に復帰。 75年6月非常事態宣言で逮捕されたが,のち釈放され,M.デサイとともに野党を結集したジャナタ党の生みの親となり,77年の総選挙で I.ガンジー政権を打倒し,ジャナタ党政権を実現させた。しかし,ジャナタ党の M.デサイ政権が,内紛続きで見るべき成果もなく 79年7月退陣すると,失意のうちに死去した。

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