アメリカの彫刻家、メディア・アーティスト。イリノイ州ウルバーナ生まれ。1960年代初めにニューヨークに出て、当初はジョン・ダニエルズ・ギャラリーのスタッフとして現代美術の現場にかかわり、ポップ・アート、ミニマル・アート、アースワーク系の美術家と親しく交流。ドナルド・ジャッド、ロバート・スミッソン、ソル・ルウィット、ダン・フレービンらのグループ展を組織し、彼らの活動をサポートする。かたわら1960年代なかばごろより、自らも作品制作を開始した。
最初期の作品は、当時流行していたフォト・ノベル(写真で構成された物語)の形式を使い、女性誌の誌面を一種のパロディーによって再構成したもので、ファッションや住宅などを題材にメディアの情報操作に対する皮肉を表現した。1969年、ブルース・ナウマンと知り合ったのを機にムービーカメラを作品制作に導入、2人の人物が相手を撮影したフィルムを同時に上映する『ボディ・プレス』(1970~1972)や、ある家庭のテレビの画像とその家の前に設置された大型スクリーンの画像とを連動させた『ビデオプロジェクション・アウトサイド・ホーム』(1978)などの映像インスタレーションを制作した。また1976年のベネチア・ビエンナーレに出品された『パブリックスペース/トゥー・オーディエンス』など、ツー・ウェイ・ミラー(ハーフ・ミラー)を用いた作品や、1980年代以降世界各地で鏡を活用した「パビリオン」のプロジェクトを展開し、錯視効果によって認識のずれを強調するなど、コミュニケーションの問題を追求した。
グレアムは、同時代にありながらまったく異質なポップ・アートとミニマル・アートの手法を融合した作風を確立したが、それはポップ・アーティストとして出発し、後にアースワークへと移行したスミッソンの影響が大きい。加えて1970年代以後は、両者の問題提起を取り入れた独自の作品を新しいメディアによって制作、当時盛期を迎えていたコンセプチュアル・アートの文脈で発表するという新しい展開も示した。またロック音楽のプロデュースを手がけたり、『ロック・マイ・レリジョン』Rock My Religion(共著。1993)というエッセイ集を出版して建築や都市計画についての独自の意見を発表するなど、知的好奇心は美術だけにとどまらず広い分野に及んだ。
[暮沢剛巳]
『Dan Graham, Brian WallisRock My Religion; Writings and Art Projects, 1965-1990 (1994, The MIT Press, Cambridge)』▽『「ダン・グレアム」(カタログ。1990・山口県立美術館)』
コロイド化学の創立者とされるイギリスの物理学者、化学者。12月21日、スコットランド、グラスゴーの富裕な製造業者の家に生まれる。1819年に14歳でグラスゴー大学に入学し、ただちに化学に魅せられた。父は反対したが、母の激励を受けてこの道を進み、やがて1830年グラスゴーのアンダーソン大学の化学の教授、1837年ロンドン大学の化学の教授職についた。1841年にはロンドン化学会の創立に参画、初代会長となった。1854年に教授職を退き、造幣局長官となった。1869年9月16日死去。
王立協会メダル(二度)、パリ科学アカデミー賞などによって報いられた彼の多くの科学研究のうち重要なものの一つは、1829年から1833年ごろにかけて行われた気体の拡散に関する実験的研究である。細孔を通って気体が流出する速度は同一条件のもとではその密度(したがって分子量)の平方根に逆比例するという法則は今日「グレアムの法則」といわれる。彼はまた、拡散速度の相違を利用する異種気体混合物の分離の可能性を指摘したが、これは第二次世界大戦中ウラン235と同238を六フッ化ウランにして分離する際に応用された。
彼の科学上の貢献のうち、さらに特筆すべきものは「コロイド化学」の創設である。彼は、1860年代前半期に発表したいくつかの論文で、物質の状態を二つに分類した。すなわち、第一は、ショ糖や食塩のように水中で拡散しやすく、また結晶化しやすい状態にあるもの、第二は、拡散性が小さく、結晶になりにくいケイ酸、デンプン、ゼラチンなどである。彼は、前者をクリスタロイド、後者をコロイド(ギリシア語の膠(にかわ)に由来)と命名した。この認識は非常に重要で、やがてフロイントリヒやC・W・W・オストワルトによりコロイド化学として大成されることになる。
[中川鶴太郎]
アメリカの経済学者。カナダ南東部のノバ・スコシア州ハリファックスに生まれ、ダルハウジー大学、ハーバード大学に学んだ。ラトガース大学講師、ダートマス大学助教授を経て、1921年にプリンストン大学助教授、1925年に準教授、1930年に教授に就任し、1949年までその職にあった。主として国際貿易理論を研究し、国際価値論については、J・S・ミルやA・マーシャルの相互需要説に対して批判的な立場をとり、交易条件は生産費によって決定されるとする生産費説を展開した。彼はまた、生産が収穫逓増(ていぞう)のもとで行われる場合には保護貿易が正当化されることを主張した。おもな著作は『国際価値論』The Theory of International Values(1948)。
[志田 明 2018年7月20日]
イギリスの児童文学作家、エッセイスト。スコットランドのエジンバラに弁護士の子として生まれる。幼いときに母親を亡くし、祖母に引き取られて、テムズ川の川辺で2年間を過ごす。大学には進めず、銀行員として働くかたわら、5人の孤児の日常生活を描いた『黄金時代』(1895)などを発表、好評で迎えられる。ひとり息子のアラステアに話して聞かせた物語をまとめたものが『たのしい川べ』(1908)で、川辺にすむ小動物たちを愛情こめてユーモラスに描いたこの作品は、子供から大人まで広く愛され、20世紀の古典となっている。のちA・A・ミルンによって劇化され、いっそう子供に親しまれるものとなった。
[八木田宜子]
『石井桃子訳『たのしい川べ――ヒキガエルの冒険』(1963・岩波書店)』
アメリカの女性舞踊家。ピッツバーグ生まれ。1920~23年デニショーン舞踊団に在籍、26年に独立。身体の中心を使う独特なスタイルはグレアム・テクニックとして知られ、コントラクション(収縮)とリリース(解放)、スパイラル(螺旋(らせん)状に身体を動かす)は、その代表的な用語である。ギリシア悲劇を題材とした創作が多く、『夜の旅』『心の洞窟(どうくつ)』などがある。モダン・ダンスの開拓者的存在として、世界各国の舞踊家に与えた影響は大きい。なおグレアム舞踊団に在籍した日本人ダンサーには、アキコ・カンダ、浅川高子、木村百合子(ゆりこ)らがいる。
[市川 雅]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
イギリスの化学者。グラスゴー生れ。グラスゴー大学修士(1826)。エジンバラ大学で研究,アンダーソン大学教授,ロンドン大学教授を歴任。1834年にローヤル・ソサエティ会員となる。その間ロンドン化学会の創立に尽くし初代会長(1841),造幣局長官(1854-69)を務め,現職のまま没。1831年には気体の拡散速度と密度に関するグレアムの法則を発表して,混合気体分離の可能性を示した。33年にはリン酸の研究によって多価の無機酸(多塩基酸)の概念を提唱して,J.vonリービヒに影響を与えた。また液体の拡散を研究して非拡散物質を〈コロイド〉と命名,透析法を考案して〈コロイド〉と〈クリスタロイド〉を分離し,コロイド化学への道を開いた。彼の教科書《化学要綱Elements of Chemistry》(1841)は広くヨーロッパ全域で読まれた。
執筆者:岩田 敦子
アメリカの南バプティスト教会の牧師。第2次大戦後のもっとも有名な大衆伝道者。ビリー・グレアムと呼びならわされる。ノース・カロライナ州生れ。ホイートン・カレッジ卒業(1943)。1949年,ロサンゼルスの伝道集会で三十数万の人々を集め一躍名をなし,その後〈ビリー・グレアム福音伝道協会〉を組織。雑誌,ラジオ,テレビなどのマス・メディアを用いてリバイバル(信仰復興)運動を展開。アメリカのみならず日本を含め世界各地で大伝道集会を数日から数週間にわたって開き,単純にキリスト教を信ずるように訴える。その大衆への影響力ゆえに,歴代の大統領も彼と友好関係をもとうとした。平均的なアメリカ人の保守的な宗教と政治の信条に立脚し,それを代表した。
執筆者:古屋 安雄
イギリスの児童文学者。早くから父母を失い,オックスフォード大学進学を断念し,イングランド銀行に勤めながら文筆に従事した。子どもの世界を描いた《黄金時代》(1895),《夢の日々》(1898)もすぐれた作品であるが,彼の最大傑作は幼い息子のために語った川辺の小動物の物語《柳の風》(1908。邦訳《ひきがえるの冒険》)で,A.A.ミルンなどにも大きな影響を与えた。彼の作中の子どもたちは,おとなたちを出し抜くことの大好きな楽しい子どもたちである。
執筆者:鈴木 建三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「グラハム」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》(1857),R.バランタインの《サンゴ島》(1857),ウィーダOuidaの《フランダースの犬》(1872),シューエルA.Sewellの《黒馬物語》(1877)のあとをうけて,R.L.スティーブンソンの《宝島》(1883)で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》(1869),G.マクドナルドの《北風のうしろの国》(1871),R.キップリングの《ジャングル・ブック》(1894),E.ネズビットの《砂の妖精》(1902),K.グレアムの《たのしい川べ》(1908),J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ(ピーター・パン)》(1911),W.デ・ラ・メアの《3びきのサル王子たち》(1910)にうけつがれ,ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》(1921)は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》(1926)が新領域をひらき,J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》(1937),《指輪物語》(1954‐55)は妖精物語を大成する。…
…コロイドは,大きく粒子コロイド,分子コロイド,会合コロイドの三つに分類することができる。
【コロイドの概念と特徴】
コロイドの概念は1861年イギリスの化学者T.グレアムにより初めて提唱された。彼は種々の物質の拡散の現象を研究し,ある種の物質(硫酸マグネシウム,砂糖など)は速い拡散速度をもつのに対し,別の物質(ゼラチン,アルブミンなど)の移動速度は非常に遅いことを知り,前者がたやすく結晶として取り出すことができるのに対し,後者はそうでないことから,一般に物質は2種に分類できると考え,前者にクリスタロイドcrystalloid,後者にコロイドという名前を与えた。…
…もと十字軍を意味する言葉であるが,近年アメリカの福音主義者のあいだでは大衆伝道や伝道運動の意味で用いられている。大衆伝道者W.F.グレアムの全米各都市および大阪(1959)や東京(1961)を含む全世界の主要都市におけるクルセード,さらにアメリカの大学生のあいだでの伝道運動であるキャンパス・クルセードが有名である。【古屋 安雄】。…
…その典型が18世紀前半,アメリカのニューイングランドでおこったいわゆる〈大覚醒〉で,J.エドワーズやG.ホイットフィールドらの説教を中心として始まり,世俗化した植民地に失われつつあったピューリタニズムを復興させ再宗教化した。全国的規模のリバイバル運動はアメリカにおいてはほぼ50年周期でおこっており,1950年代のW.F.グレアムを中心とするものは,冷戦下の政治社会的諸要因からなる複合的な宗教現象でもあった。したがってリバイバルは本来はキリスト教国,特にアメリカにおいてみられる現象であるが,今日では一般的に大衆を対象とした伝道をリバイバル伝道とかリバイバル集会と呼ぶ。…
※「グレアム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加