ナーヤナール(英語表記)Nāyanār

改訂新版 世界大百科事典 「ナーヤナール」の意味・わかりやすい解説

ナーヤナール
Nāyanār

南インドのタミル地方に,7世紀ころから現れた,一連のシバ派の指導者たちの総称。アディヤールadyārとも称せられる。彼らは,シバ派の聖典であるアーガマを研究,解説する神学者ではなく,叙事詩(《マハーバーラタ》と《ラーマーヤナ》)やプラーナなど,一般民衆にも親しみのある文献を典拠にして,神に対する絶対的な信愛(バクティ)の情感を吐露する熱烈な宗教詩人であった。彼らは寺院から寺院へと渡り歩きながら,シバ神やその神妃ウマー女神などの神像の前でタミル語の賛歌を歌い上げ,しばしば陶酔状態で踊ったりして,一般の民衆にシバ教の神髄を伝え広めた。彼らの中でとくに有名なのは,サンバンダルアッパルスンダラルの3人で,〈三聖〉と呼びならわされている。とりわけアッパルの詩は,深い罪業の意識を下敷きにして,ラディカルな信愛至上主義を打ち出している。彼によれば,純粋に心の底から神を信愛すること以外に必要なものは何もない。ヒンドゥー教で重んじられている沐浴ベーダの学習や苦行などは,根本的には空しい所業にすぎないと力説した。彼ら三聖の詩は,10世紀に,シバ派の神学者ナンビヤーンダル・ナンビの手によって集成され,《デーバーラム(テーバーラム)》と名づけられた。また,これは,同時代チョーラ朝のラージャラージャ大王の助力によって典礼用の音楽に仕立てられた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のナーヤナールの言及

【インド文学】より

…6世紀になると仏教とジャイナ教は衰退し,代わってシバ教とビシュヌ教が民衆の間に広まった。7,8世紀を頂点に,ナーヤナール(シバ派),アールワール(ビシュヌ派)と呼ばれる宗教詩人が数多く現れて,熱烈な信仰を歌にうたって各地の寺院を巡り歩いた。彼らの歌は後に集大成されて,シバ派の聖典《ティルムライTirumuṟai》とビシュヌ派の聖典《ナーラーイラディブヤプラバンダムNālāyira‐divya‐prabandham》となった。…

※「ナーヤナール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android