現代外国人名録2016 「ノーランライアン」の解説
ノーラン ライアン
Nolan Ryan
- 職業・肩書
- 元大リーグ選手 元レンジャーズCEO
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1947年1月31日
- 出生地
- テキサス州レフュージオ
- 本名
- Ryan,Lynn Nolan Jr.
- 学歴
- テキサス州アビン短期大学中退
- 受賞
- スポーティング・ニューズ誌最優秀選手〔1990年〕
- 経歴
- 1965年ドラフト12位でメッツに入団。’66年メジャーに昇格。’69年世界一を経験。’72年エンゼルスへトレードされたが、同年は19勝、リーグ最多の9完封を挙げて329三振を奪い、初の年間最多奪三振投手に。’73年は21勝で年間383奪三振の大リーグ記録を樹立した他、5月対ロイヤルズ戦、7月対タイガース戦と年間2度のノーヒット・ノーランを達成。’74年には22勝で367奪三振で3年連続となる年間最多奪三振投手に輝く。また時速100マイル(約161キロ)の史上最速(当時)をマークし、その豪速球から“カリフォルニア・エクスプレス”の異名を取った。’80年史上初の年俸100万ドルでアストロズへ移籍。’83年にはそれまで半世紀以上破られなかったウォルター・ジョンソン(セネタース)の3508奪三振を抜いて大リーグの通算奪三振記録保持者となる。2年後4000奪三振を突破。’87年金田正一(国鉄〜巨人)の世界記録4490奪三振を突破。’89年レンジャーズへ移籍し、8月通算5000奪三振、’90年7月史上20人目の通算300勝、’91年7月22シーズン連続100奪三振を達成。40代で150キロを越える快速球を投げ、“ダイハード・テキソン(不死身のテキサス人)”“ジ・エクスプレス”と呼ばれた。27年間プレーし、’93年9月46歳で引退。通算成績は807試合に登板して324勝292敗、防御率3.19。最優秀防御率2回(’81年,’87年)、最多奪三振11回(’72〜74年,’76〜79年,’87〜90年)、オールスター出場8回(’72〜73年,’75年,’77年,’79年,’81年,’85年,’89年)。ノーヒットノーラン7度、通算5714奪三振など数々のメジャー記録を樹立した。エンゼルス、レンジャーズ、アストロズの3チームで永久欠番を持つ。’99年野球殿堂入り。現役引退後は故郷テキサス州で牧場を経営。2007年米国食肉輸出連合会(USMEF)の親善大使として来日。2008年2月古巣レンジャーズの球団社長に就任すると、球団の育成システム改革に着手。2009年球団経営陣が交代した際にオーナーグループの一員となった。自らの著書「ピッチャーズ・バイブル」に記した練習法を取り入れ、投手の強化にも力を注ぐ。球団創設50年目の2010年には、初めてワールドシリーズに出場した。2011年CEO(最高経営責任者)に就任。2012年から2年連続で本拠地主催試合の観客動員を300万人突破に導くなど手腕を発揮したが、2013年退任した。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報