ハイレッド・センター(読み)ハイレッドセンター

百科事典マイペディア 「ハイレッド・センター」の意味・わかりやすい解説

ハイレッド・センター

読売アンデパンダン展に出品していた高松次郎赤瀬川原平中西夏之の3名からなる美術グループ。1963年結成名称各人の姓の最初文字英訳を組み合わせたもの。東京オリンピック期間に白衣・マスク姿で銀座を清掃する《首都圏清掃整理促進運動》など社会性を持ったイベントを行い,〈反芸術〉運動の中で特異な足跡を残した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイレッド・センター」の意味・わかりやすい解説

ハイレッドセンター

高松次郎,赤瀬川原平,中西夏之により結成された前衛美術集団。名称は3人の頭文字「高,赤,中」を訳したもの。ほかに和泉達など多数が参加することもあり,確固とした組織体を成してはいなかった。 1962年 10月のイベント「山手線事件」で既に活動を開始しているが,63年5月新宿第一画廊での「第5次ミキサー計画」において正式に結成。以後,64年 10月までに内科画廊街頭などを舞台に「第6次ミキサー計画-物品贈呈式」「ロプロジー」「シェルター・プラン」「特報!通信衛星何物に使われているか」「大パノラマ展」「首都圏清掃整備促進運動」「ドロッピング・イベント」といった,日常と非日常の境界を解消するようなイベントを行なった。「作品」の形式をとどめず,「行為」と「観念」が勝っており,また共同制作によっているところから,反芸術から環境芸術,観念芸術への道を切り開いたといえよう。

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世界大百科事典(旧版)内のハイレッド・センターの言及

【パフォーマンス】より

…このことは,ニューヨーク美術界の刺激を受けて活気づいていた〈読売アンデパンダン展〉(日本アンデパンダン展)出品作家たちの活動と,ケージに学んだ一柳慧(いちやなぎとし)や小野洋子らの媒介でしだいに日本にも形成されはじめたさまざまな芸術グループにもあてはまる。ともに1960年創立の〈グループ音楽〉(小杉武久,刀根康尚,塩見千枝子ほか),〈ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ〉(篠原有司男(うしお),吉村益信,風倉省作ほか),62年10月の車中パフォーマンス《山手線事件》や63年5月の街頭パフォーマンス《第一次ミキサー計画》のメンバーによる〈ハイレッド・センター〉(赤瀬川原平,中西夏之,高松次郎ほか)などは,互いに相互関係をもっただけではなく,〈暗黒舞踏〉の土方巽(ひじかたたつみ)や実験映画グループ〈ヴァン映画科学研究所〉(足立正生ほか)などとも,また海外の〈フルクサス〉とも横断的な関係をもった。 1960年代の日本のパフォーマンス活動が与えた影響には計り知れないものがあり,その遺産を演劇や映画に活用した芸術家の一人として寺山修司がいる。…

【ハプニング】より

… 60年代には,C.オルデンバーグ,ジム・ダイン,レッド・グルームス,ラモンテ・ヤング,小野洋子,ナムジュン・パイクら,フルクサスのメンバーをはじめとする多彩な芸術家がニューヨークその他でハプニングを発表し,ヨーロッパではJ.J.ルベル,W.フォステル,J.ボイスらの試みがあった。日本でも,ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ,ハイレッド・センター(高松次郎,赤瀬川原平,中西夏之ら)などのグループや一柳慧(いちやなぎとし),小杉武久ら音楽家のハプニングが知られている。60年代末には,R.ラウシェンバーグらのEAT(イーエーテイー)(1969結成)が,テクノロジーとアクションを織りまぜた大がかりな催しを展開した。…

※「ハイレッド・センター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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