美術家、小説家。大分県生まれ。本名克彦(かつひこ)。愛知県立旭丘高校美術科から武蔵野美術学校(現、武蔵野美術大学)に進学するが、1957年(昭和32)に中退。早くから作家活動を開始し、1958年には東京・渋谷道玄坂の喫茶店「コーヒーハウス」で初個展を開催した。
1960年、美術家篠原有司男(うしお)(1932― )や荒川修作らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。読売アンデパンダン展を中心に作品を発表する一方、1963年高松次郎、中西夏之(なつゆき)とそれぞれの姓の頭文字である高・赤・中にちなんで「ハイレッド・センター」を結成。以後同グループは街中でハプニングを引き起こし、知覚と現実の間にギャップを生じさせる「ミキサー計画」を実行し、また多くのコラージュ作品を制作。読売アンデパンダン展などで、若手アーティストの型破りな活動に注目が集まっていた反芸術の熱狂のなかで精力的に活動した。
1963年、東京・新宿第一画廊での個展「あいまいな海」で千円札を模した作品を出品。以後同じく千円札を模した梱包作品やダイレクト・メールなどを制作、発表したが、作品が通貨及証券模造取締法違反に問われたため、「表現の自由」などを争点に法廷で争う。この「千円札裁判」は、1970年最高裁判所上告審で赤瀬川の敗訴が確定した。また1970年には初の著書『オブジェを持った無産者』を刊行。同年より『朝日ジャーナル』誌に連載したイラスト「櫻画報」は当時の代表的な作品で、ほかにも『美術手帖』『終末から』『現代の眼』『ガロ』誌を舞台に活動を展開。1970年には美学校(1969年開校の東京にある美術専門学校)で「絵・文学」「考現学」の講義を開始するなど、教育活動も行う。
1986年藤森照信、イラストレーターの林丈二(1947― )、南伸坊(1947― )らと「路上観察学会」を結成、街中の風景のなかから利用目的不明の物体を探して「超芸術トマソン」と命名するフィールドワークを実施。その他にも、「脳内開発事業団」「ライカ同盟」などの活動や勅使河原宏(てしがはらひろし)監督の映画『利休』(1989)の共同脚本執筆、明治期の反体制ジャーナリスト宮武外骨(みやたけがいこつ)の研究などを行う。さらに尾辻克彦名義で小説を執筆、1981年には『父が消えた』で第84回芥川賞受賞、1983年には『雪野』で野間文芸新人賞を受賞するなど、関心と活動の幅は極めて広い。
その後高齢になると起こる記憶力の低下などを「老人力がついた」といい替える新しい価値観を示した『老人力』(1998、毎日出版文化賞)がベストセラーとなり、横浜トリエンナーレ(2001、横浜美術館)にもコンセプチュアルな作品を出品。また、美術史家の山下裕二(1958― )と「日本美術応援団」を結成して、数多くの共著を出版した。直木賞作家の赤瀬川隼(しゅん)(1931―2015)は実兄。
[暮沢剛巳]
『『オブジェを持った無産者』(1970・現代思潮社)』▽『『老人力』(1998・筑摩書房)』▽『『東京ミキサー計画』『反芸術アンパン』『超芸術トマソン』(ちくま文庫)』▽『『桜画報大全』(新潮文庫)』▽『尾辻克彦著『雪野』(1983・文芸春秋)』▽『尾辻克彦著『父が消えた』(文春文庫)』
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(2014-10-28)
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