イギリスの古典学者,詩人。ウスターシャーの小村に生まれ,1877年オックスフォード大学に入学し,古典学を学んだが,81年卒業試験に失敗して退学した。翌年官吏資格を取得し,ロンドンに出て特許局に勤めた。かたわら大英博物館図書室を書斎代りに用い,ギリシア・ラテン文学のテキスト校訂に関する論考を学術雑誌に投稿して学界で名を成し,92年ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのラテン語教授に採用され,1911年にはケンブリッジ大学ラテン語正教授となった。ラテン語学から古代占星術に至る豊富な学識を注ぎこみ,私費を投じて刊行したマニリウス《天文譜》校訂版(1903-30)や,ユウェナリス(1905)とルカヌス(1926)の校訂などがおもな業績で,他に全3巻の《古典学論集》(1972)にまとめられた小論文がある。彼は当時のイギリス学界のロマン派的風潮に乗った文芸談義にもドイツの科学主義的テキスト校訂学にも背を向け,文学と古典学を峻別して,無味乾燥とみずから認めるテキスト校訂作業に労力を傾注した。この彼の姿勢は,学問上の不誠実さを指弾する時の筆の鋭さもあいまって評判を呼んだが,詩集《シュロップシャーの若者》(1896)と《最新詩集》(1922)を発表して詩人として著名になった後も,英文学の講座は固辞し,本業の古典学でも専門技術的講義のみで文学そのものは扱おうとしなかった。
執筆者:片山 英男
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ドイツの小説家、劇作家、エッセイスト。カッセル生まれ。第一次世界大戦に従軍し負傷して帰還。牧歌小説『ランピオーン』で文名をあげるが、1938年神学者カール・バルトと出会い生涯プロテスタントの転機を迎え、宗教的作風に変わる。5歳の子を主人公とする物語『マルティーン』(1949)は第二次世界大戦後の読書界に迎えられ、『ボルプスベーデの牧人劇』(1946)はドイツの数百の教会で祝祭劇として上演されている。ほかに詩集『互いに』(1946)。
[小塩 節]
イギリスの詩人、古典学者。ロンドン大学、ケンブリッジ大学のラテン語教授を務め、イギリス屈指の古典学者の1人に数えられる。またギリシア叙情詩に通じ、厳しく抑制された詩作『シュロップシャーの若者』(1896)で知られる。失意と厭世(えんせい)観が特色で、自然描写がみごとである。
[早乙女忠]
『星谷剛一訳『ハウスマン全詩集』(1976・荒竹出版社)』
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…デュシャンは13年以後,量産の日用品を加工も変形もせず作品化する〈レディ・メード〉で,一品制作の手仕事による個性やオリジナリティの表現という,近代芸術の理念にアイロニカルな批判をつきつけ,ピカビアの〈無用な機械〉と名づけた立体や絵画も,機械のメカニズムをとおして人間や芸術を冷笑した。第1次大戦中におこったダダは,これらの実験を総合し,アルプやハウスマンの木片のレリーフ状オブジェや,シュウィッタースのがらくたを寄せ集めた〈メルツMerz〉,エルンストの額縁に入った金庫のようなレリーフ状作品などで知られる。ロシア,オランダの構成主義の,幾何学的構成物も見のがせない。…
…20世紀初頭にベルリンのダダイストは,この大衆的娯楽の浸透に〈反芸術〉へのひそかな刺激を見いだしたのである。 ベルリン・ダダにおけるフォトモンタージュは,J.ハートフィールドとG.グロッス,R.ハウスマンとハンナ・ヘーヒHannah Höch(1889‐1978)という2組のグループによって別々に,ほとんど同時期につくりだされたと思われる。その萌芽は第1次大戦末期にあり,展開は1920年代の初めである。…
※「ハウスマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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