日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ハネウェル・インターナショナル
はねうぇるいんたーなしょなる
Honeywell International Inc.
アメリカの航空機部品、自動制御機器などの製造を行う大手メーカー。1999年、アメリカの航空宇宙、自動車部品、工業材料の有力企業アライドシグナルAlliedSignalと、航空宇宙分野、制御機器大手のハネウェルHoneywell Inc.の合併によって形成された巨大企業である。
[田口定雄]
ハネウェル
ハネウェルは、1927年にミネアポリス・ヒート・レギュレータMinneapolis Heat Regulator Co.(MHR)とハネウェル・ヒーティング・スペシャルティーズHoneywell Heating Specialties Co.が合併して、ミネアポリス・ハネウェル・レギュレータMinneapolis Honeywell Regulator Co.を形成したのを起点とするが、前身企業のMHRは、1885年のアルバート・ブッツAlbert Butzによる炉の制御・警報装置の発明や空気調節弁の開発にさかのぼる。一方のハネウェル・ヒーティング・スペシャルティーズは、1904年に青年技師マーク・ハネウェルMark Honeywell(1874―1964)が蒸気発生器を完成、2年後に会社を設立したもの。以後、ミネアポリス・ハネウェル・レギュレータは各種のサーモスタット(自動温度調節装置)の専門企業としてアメリカ最大手となり、1934年以降は世界各地に進出した。
その後、同社は多角化を図り、1954年コンピュータのメインフレーム事業に合弁で進出、1960年、これを完全所有としてエレクトロニック・データ・プロセッシング社(EDP)を設立した。1963年、ハネウェル・インコーポレーテッドに社名を変更。1970年にゼネラル・エレクトリック(GE)のコンピュータ部門を統合。1986年、フランスのコンピュータ会社ブル、日本電気(NEC)との合弁企業ハネウェル・ブルを形成したが、パーソナル・コンピュータの台頭などから徐々に持株を売却し、1991年にはコンピュータ事業から撤退した。他方、1986年、スペリー・エアロスペースの買収により、航空宇宙分野の事業を強化、航空電子システムの世界最大手となった。
[田口定雄]
アライドシグナル
アメリカでは、第一次世界大戦によりヨーロッパから染料や薬品類の輸入が途絶したため、それらの国内生産を目的に、化学会社5社の統合によりアライド・ケミカル・アンド・ダイAllied Chemical & Dye Corp.が1920年に設立された。1928年アンモニア工場を建設するなどアメリカの大手化学メーカーとして発展した。第二次世界大戦後はナイロンや冷媒など新製品に進出、1958年アライド・ケミカル・コーポレーションに社名変更。1962年にはユニオン・テキサス・ナチュラル・ガスを買収して石油・ガス事業を加え、1970年代初めから不採算事業を売却する一方で、石油・天然ガス探査に資金を投入、1979年には利益の80%を同部門が占めた。1981年、アライド・コーポレーションに社名を変更。1983年、航空宇宙、自動車部品大手のベンディックスを買収、1985年には航空機器メーカーのギャレットを有するシグナル社と合併して、社名をアライド・シグナルThe Allied-Signalに改称。1986年、事業の焦点を航空宇宙、自動車用製品、工業材料の3分野に集約、35の非戦略事業をヘンリー・グループとして一括分離した。1993年には社名も単体性を強調したアライドシグナルAlliedSignalに改称。なお、石油・天然ガス事業は、シグナル社合併と同時に同事業の50%を売却、残りも1992年株式公開して撤退している。
[田口定雄]
合併後の事業内容
旧アライドシグナルと旧ハネウェルが合併、現社名に改めて発足した。合併後の新ハネウェルは組織の肥大化、ドル高による輸出の不振などにより業績が悪化し、2000年には、大手航空機エンジンのユナイテッド・テクノロジーズやGEから買収提案を受けたが、2001年春、ヨーロッパ委員会が独占禁止法審査によりこの合併を阻止、ハネウェルは独自路線に復帰している。同社の事業は、2001年以降、航空機のエンジン、部品、制御・誘導システム、航空エレクトロニクス機器、フライト管理システムなどを製造する航空宇宙部門のほか、各種自動制御機器、輸送・動力機器、特殊化学素材の製造などからなる。2008年の売上高は365億5600万ドル。
[田口定雄]