コスタ(英語表記)Costa, Andrea

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コスタ」の意味・わかりやすい解説

コスタ
Costa, Lucio

[生]1902.2.27. ツーロン
[没]1998.6.13. リオデジャネイロ
フランス生れのブラジルの建築家。 1924年リオデジャネイロの国立美術学校を卒業し,31年同校の理事就任。 39年に O.ニーマイヤーらとリオデジャネイロの教育保健省庁舎を設計し,中南米における代表的な現代建築と評価される。同年ニューヨーク万国博覧会のブラジル館も手がける。 56年にはブラジルの新首都ブラジリアを設計。官公庁の建物を直線的に配し,その両翼に居住区域を設けるという,飛行機に似た斬新な都市が5年後に完成した。モダニズム様式や機能主義を取入れた現代建築を設計する一方で,ブラジル国内の歴史的建造物を修復する活動にも積極的にかかわった。

コスタ
Costa, Isaäc da

[生]1798.1.14. アムステルダム
[没]1860.4.28. アムステルダム
オランダの評論家,詩人ポルトガルから移住したユダヤ系豪商の出身。ビルデルダイクの影響を受け,ライデン大学に学んだ。『精神の世紀に対する異論』 Bezwaren tegen den geest der eeuw (1823) では自由主義,啓蒙思想,フランス革命に対して激しい攻撃を加えた。ほかに政治詩集『25年間,1840年の歌』 Vijf en twintig jaren. Een lied in1840 (40) ,『番人,夜に何かあったか?』 Wachter,wat is er van den nacht? (48) など。

コスタ
Costa, Andrea

[生]1851.11.30. イモラ
[没]1910.1.19. イモラ
イタリアの社会主義者。青年期に M.バクーニン接触をもってアナーキズムの活動家となり,第1インターナショナルのイタリア支部が反権威主義的立場に立つことに貢献した。 1870年代のいくつかの蜂起計画に参加したあと,フランスに逃れ,79年に公開書簡を発して蜂起による社会革命論から政党を形成しての政治活動への方針転換を宣言した。帰国後の 81年に出身地ロマーニャで社会革命党を結成し,82年にイタリア最初の社会主義議員となった。 92年イタリア勤労者党 (社会党前身) が創設されるとこれに加わり,1909年社会主義運動の長老として下院副議長に選出された。

コスタ
Costa, Lorenzo

[生]1450頃.フェララ
[没]1535.3.5. マントバ
ルネサンス期のイタリアの画家。生地フェララで修業。 C.トゥーラの弟子であったと考えられ,彼のきびしい造形に強い影響を受けている。しかし 1485年からボローニャに移り,そこでボローニャ派の画家フランチアと共同で仕事をして以来,その画風をやわらげた。 1506年にはマンテーニャの後継者としてマントバ公の宮廷画家となった。晩年は宗教画,歴史画に専念。作品は『寓意画』 (ルーブル美術館) など。

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