フランスのアナキズムの思想家。スイス国境に近いブザンソン近郊の貧農の家に生まれた。向学心は旺盛(おうせい)だったが、16歳のころ、父が訴訟に没頭したために家計は逼迫(ひっぱく)し、学業を断念して印刷職人として働いた。当時働いていた印刷所で、同郷の社会主義思想家シャルル・フーリエの著書『産業的・協同的新世界』の校正に従事するうち、その思想に深い感銘を受けた。1838年、奨学金を得てパリに出て貧困と闘いながら勉学に励み、1840年に彼を一躍有名にした『所有とは何か』を著した。協同労働は個人の労働の合計を超える力(「集合力」)を生むが、資本家は個人の労働に対してしか支払わないから、集合力と支払われた賃金との差額が利潤として資本家の手に入る。利潤は集合力の搾取=盗みであり、生産手段の所有がこの盗みを可能にし正当化する。これが、「所有は盗みである」という彼の結論の論拠である。その後の数年間は、パリに集まるマルクスやハイネなどの革命家や知識人との交流、『経済的諸矛盾の体系』(1846)の執筆など、充実した日々を送る。マルクスは、その著『哲学の貧困』(1847)で、プルードンの所説を激しく論難し、交友はとだえた。プルードンは二月革命(1848)を「理念なき革命」ととらえ、『人民』紙や小冊子を刊行して、この革命に理念を与えるべく闘った。
現代革命の課題は、資本―国家―教会からなる抑圧の体系の廃絶にあり、その根底は「所有者支配の体系」を打破し、産業の組織化を実現する経済革命に求められねばならない、というのが彼の主張だった。しかし彼は、当時主張された共産主義や国家による産業の組織化には、それらが共同体や国家への個人の隷属を強め、個人の自由と自立を危うくするという理由で強く反対し、自由で平等な個人の双務的契約に基づく相互連帯(「相互主義」)を実現すべきことを主張した。双務的契約こそ自由と平等を実現すると考えたからである。『19世紀における革命の一般理念』(1851)は、彼の二月革命の総括である。
ルイ・ナポレオンの独裁のもとでの投獄と亡命のなかで、プルードンは、生活に基礎を置く地域集団の契約に基づく連合によって、中央権力を解体するという「連合主義」の主張を武器に、巨大化する権力との闘いを続けた。労働者は、国家や指導者の手によらず、自分で解放を獲得することができるという下からの視点にたつ彼の革命論は、現代に至るまで根強い影響力をもち続けている。
[阪上 孝 2015年6月17日]
『プルードン著、陸井四郎他訳『19世紀における革命の一般理念』(1971・三一書房/渡辺一訳『世界の名著53 プルードン他集』所収・1980・中央公論社)』▽『プルードン著、江口幹訳『連合の原理』(『プルードン3』所収・1971・三一書房)』▽『長谷川進訳『所有とはなにか』(『プルードン3』所収・1971・三一書房)』▽『プルードン著、三浦精一訳『労働者階級の政治的能力について』(1972・三一書房)』▽『河野健二編『世界の思想家13 プルードン』(1977・平凡社)』▽『河野健二編『プルードン研究』(1974・岩波書店)』▽『阪上孝著『フランス社会主義』(1981・新評論)』
フランスの社会思想家で,生産者の自由連合思想による社会革命と改良を説いた社会主義者。当時の多くの社会主義思想家と異なり貧しい職工の家庭に生まれる。彼はサン・シモンやヘーゲル,アダム・スミス,聖書などの本を製造する印刷工や校正係となって独学し,ヨーロッパ大陸を修業して回る熟練工として育つなかで,個性的に自立した生産者の機能的な分業が富の基礎であるにもかかわらず,その〈集合力〉が資本家によって不当に利用されていると考えるようになった。近代工業と成長期の資本主義の多面的な矛盾を指摘しながら,社会進歩への信頼感を失わず,寡占的な産業封建制から国家統制的な産業帝制への動きに産業民主制を代替させようとした。その著《貧困の哲学Système des contradictions économiques,ou philosophie de la misère》(1846)で,生産者の預託による共済的な人民銀行案や,租税改革案などを説き,労働者の精神的成熟と社会統御の能力の漸次的成長を促すことを要求したため,政治的能力を過度に強調する革命家たちに反対され,とくにマルクスの《哲学の貧困》によって攻撃を受けた。パリの熟練職工の支持で1848年には国民議会議員となってルイ・ボナパルトの政策を批判し,投獄と亡命生活を送った。エンゲルスの《空想より科学へ》では〈批判的社会主義者〉として扱われている。空想的社会主義者に分類されることが多いが,プルードン自身は自分を〈科学的社会主義〉と呼んでおり,また職業生活以外の社会生活の多くの領域で自治self-governmentと自主管理self-managementを進め,国や政党,経営者による上からの制御に反対した彼の思想は,マルクスやレーニンの思想を掲げる国家群の悲喜劇を前に近年再評価されている。今日でも大陸の労働運動には反インテリ的なプルードン主義の傾向が強い。また〈アナーキズム〉の名付け親ともいわれる。
執筆者:川喜多 喬
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1809~65
19世紀フランスの社会主義者。『所有とは何か』(1840年)で私有財産制を批判して注目される。1848年の二月革命後代議士。新聞などで社会改革案を主張。その連合主義は無政府主義に大きな影響を与えた。
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…彼は正義と幸福の達成を財産および国家の廃絶のうちに求めたが,それはなんら実現の方法論を伴うものでなく,個人としての人間の完成可能性を示すにすぎなかったといえる。これに対し,アナーキズムに一定の社会組織のイメージと理論的基礎づけとを与えようとしたのは,19世紀中葉のフランスにおけるプルードンであったが,ここにはサン・シモン,フーリエ以来の社会主義思想の蓄積が生かされており,これを集産主義的アナーキズムと呼ぶ論者もある。同じような系譜に立ちながらも,国家と権威の否定をより強力に叫び,さらにはネチャーエフとの関係などでアナーキズムにテロリズムの色彩を与えさえしたのは,ロシアから出て欧米諸国に広く足跡を残したバクーニンである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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