一般に,外的な強制・支配・拘束を受けず,自発的に行為を選択することのできる意志のあり方をいい,〈意志の自由freedom of will〉ともいう。プラトンは《国家》第10巻の〈エルの神話〉のなかで,人間には死後の運命に対する選択の余地があり,その内容は道徳的行為によってきまると述べたが,他方人間は神の〈遊び道具〉であるともいっている。信仰に関して人間に自由意志をみとめた最初の人はエメサのネメシオスNemesios(359ころ没)であるとされる。アウグスティヌスは《自由意志論》(395)で罪と自由意志との関係を論じ,それによってマニ教の善悪二元論を克服した。この場合,自由意志はたんなる選択の働きではなく,意志の全体と統一が成ることであり,回心なしにはこのことは起こらないとされる。ここにギリシア的な主知主義に代わるキリスト教的な主意主義が成立した。アンセルムスはこれを厳密に論じ,自由意志とは〈自由な選択〉ではなくて〈自由を選ぶこと〉であり,自由それ自体は人間の選択意志によって左右されない本質をもつとした。このように自由を選択意志に先行させることは意志の働きを弱めるものではない。それはむしろ,自由を選択意志にのみ与えたために自由の実質が低下することを避けるのであり,意志に対しては自由と同時に服従をも帰せしめることにより,自由は服従によっても失われないとするのである。
この考えはとくに,ゲルマン人の自由意識を尊重しつつ教会と国家の両立をはかった中世カトリック教会の所産であったとみなされる。ルターが《キリスト者の自由》(1520)の冒頭で,信仰の自由は支配者と奴隷のいずれの側でも成立すると宣言したのもここから来る。しかしその命題は,伝統的な教会や国家の拘束を排するルネサンス人の意識にあわず,エラスムスとの間に自由意志をめぐる論争をひき起こした。ルターは晩年のアウグスティヌスとペラギウスとの間に生じた論争をふまえて,人間の自由意志は現実には恩恵(恩寵)を受けつけない〈奴隷意志servum arbitrium〉であると断定する。同様の主張は17世紀後半のジャンセニストにもあり,近代においては中世的な〈恩恵と自由意志〉の調和は破れたといってよい。ホッブズは,自然権にもとづいて自己保存の本能に従ってなされた自由な行為のみが存在し,他方意志があらかじめ欲求によって規定される限り自由意志は存在しない,と主張した。デカルトは自由意志を理性活動にだけみとめて,理性的である限り意志の自律と自足を主張した。カントはライプニッツとともに自然の因果性を超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)をみとめ,これを神,不死とならんで道徳のための要請とした。理性的存在者の道徳的行為は自由の要請のもとで,自律的な〈定言的命令〉に従う限りで成立するのである。けっきょく〈恩恵と自由意志〉の調和はいったん破れたものの,自由意志をたんなる欲求や自発性と同一視することはできず,その根は人間の心身性や超越という関係性の中にあることが明らかにされた。近代哲学はこの点で主意主義を保持してきたといえる。
→決定論 →自由
執筆者:泉 治典
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人間のうちにあって、自然の因果の必然によって規定されずに自発的に発動する能力が自由意志である。そうした能力の存在は、選択とか意志決定の自由として意識される。もっとも、スピノザによれば、人間が自由意志をもつと信じるのは行為の真の原因について無知であることによるので、人間の意志や行為もすべて因果の必然によって規定されていることになる。このように自由意志の存在を否定するのが決定論で、現代の科学者や科学哲学者のなかにも決定論者は多く存在する。
だが、自由意志の問題は、もともと理論的であるよりも実践的な問題で、たとえばカントによると、理論的認識の妥当性は因果律が支配する現象界に限定されるから、自由の存在は理論的には証明不可能であるが、しかし実践理性は人間が従うべき道徳法則の存在を認め、そこから自然の原因性とは異なった自由の原因性が英知界において成立することを確認する。すなわち意志の自由は、自分自身に対して道徳法則を課し、かつそれに従うといった意志の自律であって、この自由は非決定論的な選択の自由ではなく、道徳法則によって規定された善への自由を意味する。
なおヘーゲルは、カントの説く自由はまだ有限的で主観的な意志の自由にすぎないと批判し、真に無限にして自由な意志は、即自かつ対自的にある意志で、それは意志の形で自己を貫徹する思考であり、したがって自由とは、実は認識された必然にほかならないと考えた。
[宇都宮芳明]
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…しかし,この三つの論点にはそれぞれ,概念的な混乱があるという非難もあり,議論が分かれる。また,人間は自由意志をもつがゆえに機械ではない,という主張も有力なものとされるが,自由意志をもつということの実質的な意味が当人の自覚以外において明確ではなく,この議論も決定的なものではない。要するに,人間が機械であるか否かという問題はこの2語の定義いかんの問題であり,そして,この2語をなじませて用いるような定義の浸透が現在のわれわれの言語生活においてすでに,自然に進行しているようにも見える。…
…しかし神と人間との間には,フィチーノと異なって,無限の隔りがあるとして,神の超越性が強調される。一方,人間精神は,みずからの選択によって神の世界にも生まれ変わることができるし動物界に成り下がることもできると考え,その自由な選択にこそ人間の価値があるとして,瞠目すべき自由意志説を唱えた。これは占星術的宿命論に対する攻撃とともに,ピコを近代思想の先駆者とするものである。…
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