日本大百科全書(ニッポニカ) 「バシュキルツェフ」の意味・わかりやすい解説
バシュキルツェフ
ばしゅきるつぇふ
Marie Bashkirtseff
(1860―1884)
本名マリーヤ・コンスタンティノバ・バシュキルツェバMariya Konstantinova Bashkirtseva。ロシアの女流画家、音楽家、作家。ウクライナに生まれる。10歳でパリに出て、絵画をフルリTony Robert-Fleury(1837―1911)、ルパージュJules Bastien-Lepage(1848―84)らに学び、モーパッサンなど文学者、芸術家との交友も広かった。1884年、パステル画『パリの女』をサロンに出品して才能を高く評価されたが、結核のため若くしてパリに没した。彼女の名を後世に残したのは、死の直前まで克明に書き続けた『日記』Journal(1887)で、『未刊の私的ノート』Cahiers intimes inédits(1925)とともに死後に公刊された。ここでは、過度に鋭敏な感性と早熟で知的な頭脳の持ち主によって、同時代のパリの社会、芸術の種々相と、そこに生きる異国生まれの女流芸術家の繊細微妙な内面が活写されていて、日記文学の傑作とされている。ほかにモーパッサンとの往復書簡(1906)も残されている。
[榊原晃三]
『野上豊一郎訳『マリ・バシュキルツェフの日記』(1948・学陽書房)』