バルザーニー(読み)ばるざーにー(英語表記)Mulla Mustafa Barzani

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルザーニー」の意味・わかりやすい解説

バルザーニー(Mulla Mustafa Barzani)
ばるざーにー
Mulla Mustafa Barzani
(1902―1979)

イラク北部のクルド人軍人、政治家。トルコ国境に近いバルザン村に生まれる。1930年代にクルド人の自治を要求してゲリラ戦を指揮する。1945年、当時のソ連の支持でイランのマハーバードを首都とする「クルディスターン人民共和国」が建設され、その軍隊を率いたが、1946年この共和国が崩壊し、ソ連に亡命した。1958年のイラク共和革命後イラクに帰国するが、政府からバグダードに居住することを強制された。1960年クルド地区に脱出し、クルド民主党を再建し、その党首としてゲリラ戦を指揮した。1970年バクル政権と和解し大幅な自治を獲得するが、1974年油田の利権問題をめぐってイラク政府との関係がふたたび悪化し、ゲリラ戦がまた継続されることとなった。1975年イラク政府軍の鎮圧によりアメリカに亡命。1979年アメリカで病死

[木村喜博]


バルザーニー(Masoud Barzani)
ばるざーにー
Masoud Barzani
(1946― )

クルド民族運動指導者。北部イラクを拠点とするクルド民主党(KDP)の創設者ムッラー・ムスタファ・バルザーニーの次男。イラン、アメリカなどの外部勢力を機会主義的に利用しようとするが不調。1987年の兄イドリスの死以降は単独でKDPを率いる。ジャラール・タラバニの率いるクルディスターン愛国同盟(PUK)と激しい主導権争いを展開。1991年の湾岸戦争後北部イラクでクルド人が決起し、1992年にKDPとPUKは共同でクルディスターン地域(クルド人自治区)政府を結成するが、1994年には再度対立し内戦に突入。1996年8月イラク軍の支援でアルビル市をPUKから奪還。1998年9月には、アメリカの仲介でPUK党首タラバニと会談、和解を発表した。イラク戦争後の2005年6月クルディスターン地域政府大統領に選ばれ、2009年7月再選。

清水 学]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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