ヒムヤル王国(読み)ひむやるおうこく(英語表記)imyar

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒムヤル王国」の意味・わかりやすい解説

ヒムヤル王国
ひむやるおうこく
imyar

古代アラビアのヒムヤル人がイスラム勃興(ぼっこう)前、現在のイエメンのあたりに建てた王国。ヒムヤル人は最初サバ王国に包含されていたが、紀元前115年ころ支配権を握り、王都をザファールに移した。国号は元どおりサバ王国であったが、このときがヒムヤル王国の始まりとされる。やがて南西アラビアの一帯を統一する一方、インド洋と紅海の海上貿易を独占して、当時珍重された没薬(もつやく)、乳香(にゅうこう)、丁子(ちょうじ)、胡椒(こしょう)などの交易繁栄し、紀元後3世紀ころ全盛を迎えた。4世紀の一時期アビシニアの最初の侵略を被ったが、まもなく主権を回復したので、その後を第二ヒムヤル王国ともいう。旧来の宗教は月の神を諸神の頂点とする天体崇拝多神教であったが、キリスト教ユダヤ教が広まって、宗教紛争が起こり、アビシニアの干渉を受けるようになった。

 最後の王ズー・ヌワースはユダヤ教に改宗して、キリスト教徒を迫害したので、ふたたびアビシニア王の攻略を受けて敗北し、525年ころ王統が絶えた。

[福原信義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒムヤル王国」の意味・わかりやすい解説

ヒムヤル王国
ヒムヤルおうこく
Ḥimyar

南アラビアに前 115年頃から 525年まで存続した王朝。南アラビアには古くから王国が存在し,サバ王国と呼ばれていた。その領域の海岸地帯にヒムヤル族が住み,インドとの海上貿易によってサバ王国の繁栄を支えていたが,前 115年頃からはヒムヤル族は自立し,ザファールを首都とした。3世紀にはサバ王国を併合し,4世紀には首都を内陸部のサナーに移したが,この頃からこの地にユダヤ教とキリスト教が浸透してきた。最後の王ズー・ヌワースはキリスト教徒を迫害したので,ビザンチン皇帝ユスチヌスに助けられたアビシニアによって 525年に滅ぼされた。その後も7世紀のイスラムの勃興まで,ヒムヤルの貴族はある程度の影響力を保持していた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ヒムヤル王国」の解説

ヒムヤル王国
ヒムヤルおうこく
Himyar

古代南アラビアのヒムヤル族がイエメンに建てた国
元来サバー王国に従っていたが,前115年ごろ支配権を握り,ザファールを王都とした。その後南西アラビアを統一し,インド洋と紅海の貿易を独占して乳香・丁子・胡椒などを扱った。3世紀に全盛となり,4世紀にエチオピアの侵略を受けたが,のちに主権を回復。このころ,キリスト教とユダヤ教が伝わって宗教紛争が起こり,最後の王であるズー=ヌワースはユダヤ教に改宗してキリスト教徒を迫害したため,再びエチオピアの侵略を受けて525年ごろに断絶した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヒムヤル王国」の解説

ヒムヤル王国(ヒムヤルおうこく)
Ḥimyar

前2世紀末頃に成立し,6世紀まで存続した古代南アラビアの王国。3世紀末に南アラビアを統一し,4世紀以降はアラビア半島中央部への進出を図った。525年にはアクスム王国に,575年にはサーサーン朝に征服されて滅亡した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヒムヤル王国の言及

【アラビア半島】より

…アラビア半島そのものについては,前2世紀ごろヒジャーズ北部にデダン(現在のウラー)の王国が続き,紀元前後の1,2世紀に,同じ地域にリフヤーン王国が栄えた。 古代南アラビア王国の最後のヒムヤル王国は前2世紀の末ごろに興り,後3世紀にサバ,4世紀にハドラマウト王国を併せて南アラビアを統一した。しかしこのころから南アラビアの社会と経済に重大な変化が生じ始めた。…

【イエメン】より

…宗教は天体崇拝を主とした多神教で,神殿は広大な神殿領と多数の神殿奴隷を持っていた。ヒムヤル王国は前2世紀末に興り,後4世紀にイエメン・ハドラマウトを統一した。ユダヤ教徒のイエメン定住はおそらく1世紀末ごろであろうが,4世紀にはキリスト教も伝えられ,多神教社会に亀裂が走った。…

【サヌア】より

…紅海に面する貿易港ホデイダとは高速自動車道で結ばれる。ヤークートの地理書によればサヌアには1世紀ころヒムヤル王国Ḥimyarの巨大なグムダーン城が建てられていたと記される。525年アビシニア(エチオピア)軍総督アブラハがヒムヤル王国を滅ぼし,この地を首都とし壮大な教会を建てた。…

【モカ】より

…人口2万2000(1975)。バーブ・アルマンデブ海峡の北方約80kmにあり,古くは1世紀ころヒムヤル王国の交易港となり,中世から19世紀半ばまでモカ・コーヒーの愛称で親しまれてきたイエメン特産のコーヒー積出港であった。イギリスの東インド会社の駐留地として栄えたが,アデンやホデイダの発展とともにモカは重要性を失い,イエメンのコーヒーの生産量も減少した。…

※「ヒムヤル王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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