百科事典マイペディア 「ビエニアフスキ」の意味・わかりやすい解説 ビエニアフスキ ポーランドのバイオリン奏者,作曲家。ビエニャフスキとも。ルブリンに生まれ,8歳でパリ音楽院に入学。ベルギーの名バイオリン奏者J.L.マサール〔1811-1892〕に学ぶ。パリとペテルブルグにデビュー後,ピアノ奏者の弟とヨーロッパ各地を楽旅し名声を確立。1860年−1871年ペテルブルグの宮廷バイオリン奏者を務め,1874年ビュータンの後任としてブリュッセル音楽院バイオリン教授に就任。右肘(ひじ)の位置を従来より高くしたその運弓法はアウアーに継承され,ロシアの演奏家を中心に20世紀前半の奏法に影響を与えた。弟子にイザイエなど。代表作に《バイオリン協奏曲第2番》(1862年)があり,ほかに《モスクワの思い出》《華麗なポロネーズ第2番》などのバイオリン小品が広く親しまれている。その名を冠した〈ビエニアフスキ国際バイオリン・コンクール〉(ポズナニで5年ごとに開催)は,バイオリン奏者の国際舞台への登竜門の一つ。→関連項目オイストラフ|サラサーテ 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「ビエニアフスキ」の意味・わかりやすい解説 ビエニアフスキHenryk Wieniawski生没年:1835-80 ポーランドのバイオリン奏者,作曲家。パリ音楽院で学ぶ。パガニーニ以後の世代の主要なバイオリン奏者として,ヨーロッパやロシアで演奏のかたわら教鞭を執った。右ひじの位置を従来より高く保ち,右腕のより自由な運動を可能にしたその運弓法は,ペテルブルグ音楽院での後継者アウアーによって採用され,ロシアの演奏家を中心に20世紀前半の奏法に影響を与えた。その演奏は詩情に富んでいたといわれる。代表作には《バイオリン協奏曲第2番》(1862),《華麗なポロネーズ》(1868)がある。執筆者:片山 千佳子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by