ピョートルストルイピン(その他表記)Pyotr Arkad’evich Stolïpin

20世紀西洋人名事典 「ピョートルストルイピン」の解説

ピョートル ストルイピン
Pyotr Arkad’evich Stolïpin


1862 - 1911
ロシアの政治家。
元・帝制ロシア首相。
ペテルブルグ大学を卒業後、1884年より内務省に入省。1902年グロドノ県知事、’03年から3年間サラトフ県知事を務める。’06年内相を経て、翌年首相と内相を兼務する。「まずは平静を、しかる後に改革を」を基本方針とし、戒厳令や軍事法廷などを実施し、多くのテロリストを処刑した事から「ストルピンのネクタイ」と呼ばれた。’06〜11年土地改革の為の法律で、農民達が自らの意志で、共同体から離脱し、耕地の整理や統合に着手するよう奨励。’11年キエフで観劇中、警察スパイに射殺される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む