改訂新版 世界大百科事典 「ピータールーの虐殺」の意味・わかりやすい解説
ピータールーの虐殺 (ピータールーのぎゃくさつ)
Peterloo Massacre
1819年8月16日,イギリスのマンチェスターのセント・ピーター教会前広場に集まった議会改革を要求する群衆が,当局側の弾圧をうけ,多数の死傷者を出した事件。イギリスではナポレオン戦争が終結(1815)し,戦時体制から解放されると,産業革命の矛盾が一挙に表面化し,抑えられていた労働者,職人らの不満が噴出して,政治改革・議会改革を要求する運動が高揚した。6万人が参集したこのマンチェスターの大集会は,下層階級による一連の議会改革運動の頂点をなすものであったが,大衆指導者ヘンリー・ハントが議長席に上がってまもなく,市当局が動員した義勇騎兵隊と軽騎兵隊とが群衆に斬り込んでけちらし,死者11名,負傷者400名以上を出した。この事件は,ナポレオン戦争でのワーテルローWaterlooにおけるイギリス軍の勝利をもじって,〈ピータールー〉の虐殺と呼ばれるようになった。
執筆者:古賀 秀男
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