現代外国人名録2016 「ブライアンフェリー」の解説
ブライアン フェリー
Bryan Ferry
- 職業・肩書
- ロック歌手
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1945年9月26日
- 出生地
- ダーラム州ワシントン
- グループ名
- グループ名=ロキシー・ミュージック〈Roxy Music〉
- 学歴
- ニューキャッスル大学〔1968年〕卒
- 経歴
- ニューキャッスル大学で美術を専攻。ー方、アマチュア・ソウルバンドの歌手としても働き、のちロンドンの女子校で美術を教えながら作曲に励む。1970年ボーカルに欠員が出たキング・クリムゾンのオーディションを受けるが、失格。この頃、ロキシーというバンドを組んで活動していたが、幾度かのメンバーチェンジの末、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラらが加わり、’71年ロキシー・ミュージックに改称。ヨーロッパ風のダンディズムをかもし出す奇抜なファッションから、デビッド・ボウイらと同じくグラムロックの一派と見られるが、黒人音楽の影響も強く受け、’72年デビューアルバム「ロキシー・ミュージック」ではリミックスの手法やシンセサイザーの導入をはかるなど先鋭的な作風が高く評価され、全英トップ10入りするヒットとなる。同年10月には単独で全英ツアーを敢行。’73年セカンドアルバム「フォー・ユア・プレジャー」のあと、人気を二分していたイーノが脱退し、名実ともにバンドの主導権を握る。’75年5作目「サイレン」からのシングル「恋はドラッグ」が米国でもヒット、やがてメンバーのソロ活動が活発化し、’76年バンドとしての活動を休止。’78年再結成し、’79年「マニフェスト」を発表。以前にも増して高い人気と支持を得、’82年最高傑作と呼ばれる「アヴァロン」を発表してワールドツアーを開始、’83年には来日公演を行うが、ツアー終了と同時にグループの活動を停止し、自然消滅の形で解散。また、’73年全曲カバーによるアルバム「愚かなり、我が恋」を発表して以来、バンドと並行してソロ活動を続け、バンド解散後はソロに専念。’85年アルバム「ボーイズ&ガールズ」の中から「ドント・ストップ・ザ・ダンス」が日本のCMのテーマソングにも選ばれ、ヒットシングルとなる。’97年フジテレビのドラマ「ギフト」で「TOKYO JOE」が主題歌となり、大ヒットしたことから同ドラマにも友情出演。2001年マンザネラらとロキシー・ミュージックを再結成し、来日公演を含むワールドツアーを行う。2007年全曲ボブ・ディランの曲をカバーした5年ぶりのアルバム「ディラネスク」を発表。ロキシー・ミュージックでの参加作は他に「ストランデッド」「カントリー・ライフ」「フレッシュ+ブラッド」など、ソロアルバムに「イン・ユア・マインド」「タクシー」「マムーナ」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報