アメリカのフォーク・ロック歌手、ソングライター、ギター、ハーモニカ奏者。ミネソタ州ダルース生まれ。本名ロバート・アレン・ジマーマンRobert Allen Zimmerman。高校時代にバンドを結成してリズム・アンド・ブルースやロックン・ロールを演奏する。1959年ミネソタ大学に入学したが、フォーク歌手ウディ・ガスリーの影響を受けて、フォーク・ソングを町のコーヒーハウスで歌うようになり大学を中退。イギリスの詩人ディラン・トマスにちなんでボブ・ディランを名のる。1960年12月からニューヨークで生活を始め、名プロデューサーのジョン・ハモンドJohn Hammond(1910―1987)に認められて1961年にコロンビア・レコードと契約、1962年初アルバム『ボブ・ディラン』を発表する。次作アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』Freewheelin' Bob Dylan(1963)に収録された反戦歌『風に吹かれて』Blowin' in the Windが、ピーター・ポール・アンド・マリーのレコードで1963年に大ヒットし、プロテスト・ソング、モダン・フォーク運動の中心人物となった。
その後、ロックの感覚とサウンドを取り入れた『ライク・ア・ローリング・ストーン』Like a Rolling Stone(1965)などでフォーク・ロックを創始、表現と活動の幅を広げた。1966年7月バイク事故のため1967年末まで活動休止。1973年に映画『ビリー・ザ・キッド』のために『天国への扉』Knockin' on Heaven's Doorを書き、自身も映画に出演した。1979年にはヒット『ガッタ・サーブ・サムバディ』Gotta Serve Somebodyでグラミー賞最優秀ロック男性歌唱賞を受賞。同年から1981年にかけてキリスト教を歌ったアルバム3枚を発表。1991年グラミー賞特別功労賞を受賞。映画『ワンダー・ボーイズ』のために書いた『シングス・ハブ・チェンジド』Things Have Changed(2000)ではアカデミー主題歌賞を受賞している。優れた詩人であり、新しい時代の意識改革と価値観を説いた彼は、ビートルズとともに世界のポピュラー音楽の流れを大きく変えた。
[青木 啓]
「偉大なアメリカ歌謡の伝統のなかで新たな詩的表現を創造した」と評価され、2016年のノーベル文学賞が授与された。歌手が同賞を受賞するのは初めてである。
[編集部 2017年9月19日]
『片桐ユズル・中山容訳『ボブ・ディラン全詩302篇』(1993・晶文社)』▽『菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』(2005・SBクリエイティブ)』▽『ジョン・ボールディ編、菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン指名手配――33の証言をもとに真実のボブ・ディランを探る』(1993・シンコーミュージック・エンタテイメント)』▽『クリス・ウィリアムズ著、菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン イン・ヒズ・オウン・ワーズ』(1994・キネマ旬報社)』▽『パトリック・ハンフリー著、西留清比古訳『ボブ・ディラン全アルバム解説』(1996・バーン・コーポレーション)』▽『アンディ・ギル著、五十嵐正訳『歌が時代を変えた10年――ボブ・ディランの60年代』(2001・シンコーミュージック・エンタテイメント)』▽『デイヴィッド・ドールトン著、菅野ヘッケル訳『ボブ・ディランという男』(2013・シンコーミュージック・エンタテイメント)』▽『ハワード・スーンズ著、菅野ヘッケル訳『ダウン・ザ・ハイウェイ――ボブ・ディランの生涯』新装版(2016・河出書房新社)』▽『湯浅学著『ボブ・ディラン――ロックの精霊』(岩波新書)』▽『中山康樹著『ボブ・ディラン解体新書』(廣済堂新書)』
1960年代以後のアメリカの大衆音楽で,最も重要な歌手,作詞作曲家。本名ロバート・ジンマーマンRobert Zimmerman。ユダヤ系の両親のもと,ミネソタ州で生まれる。高校時代はロックンロールを歌い,ギターを弾いていたが,大学をドロップアウトしてニューヨークに出,当時盛んになりつつあったフォーク・ソング運動の渦中に飛び込み,《風に吹かれてBlowin' In The Wind》を62年に発表して時代の寵児となった。この歌は公民権運動の中で広く歌われたが,ディラン自身は自分がそのような運動のシンボル的存在とされてゆくことを嫌ったようで,65年からロックの要素を大幅に取り入れた《ミスター・タンブリンマンMr.Tambourine Man》などで音楽的な方向転換を明示して物議をかもした。だが彼が一般の若者の間でスター的存在となり,レコードもヒットするようになったのはそれ以降のことであった。このあと60年代後半が,ディランが最も充実した音楽活動を示した時期で,70年代に入ると,それまでの自信にあふれた創作活動にややかげりが見え始め,80年代に入るとともに作品に宗教的なにおいが強くなって,デビュー当初の反体制的なイメージとは大きく変わってしまっている。
執筆者:中村 とうよう
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…そうした中から,ザ・キングストン・トリオThe Kingston Trioによる古い民謡のリメーク《トム・ドゥーリーTom Dooley》(1958)が大ヒットして,フォーク・ソングは完全にポピュラー音楽の一部門を占めるにいたった。60年代,革新ムードがアメリカを覆う中で,フォーク・ソングはおおいにもてはやされ,プロテスト・ソングの伝統を継ぐシーガーやボブ・ディランから,かなり商業主義の色彩の強いものまで,それぞれに人気を集めたが,60年代の後半に徐々に変質し,一部はロックに合流し,一部は衰退していった。 日本でも64年ころからキングストン・トリオなどを模倣した学生グループが現れ,マイク真木の《バラが咲いた》(1966。…
…メディアはLPレコード,テレビ,FMラジオに切り替わり,音楽産業は多国籍複合企業体の支配下に置かれ,新しい情報産業の一環として,ペイオーラといった姑息な手段でなく,もっと大がかりで巧妙な大衆の意識操作による大量販売方式へと進んできている。 こうした音楽業界の内情とは裏腹に,1960年代のフォーク・ソングと新しいロックの台頭以後,ボブ・ディランやビートルズに代表されるスーパースターたちは,音楽産業によって作り出されたというよりも,自分自身の音楽的姿勢のもとに自身が作詞・作曲し,手づくりでサウンドを発展させてきた。まして70年代にカリブ海の小さな黒人国ジャマイカで起こったレゲエ,80年代にアフリカのナイジェリアやザイール(現,コンゴ民主共和国)から世界に飛び出してきたアフロ・ミュージックなどは,巨大音楽産業の関知せぬところからこそ,真にインパクトのあるポピュラー音楽が生まれてくるということを示す。…
※「ディラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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