ブリュッセル条約
ぶりゅっせるじょうやく
Brussels Pact
正式には「イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク間の経済的、社会的および文化的協力ならびに集団的自衛のための条約」と称し、1948年3月17日、ブリュッセルで署名された(同年8月25日発効)。集団的自衛権を基礎とする西欧共同防衛条約である。冷戦の激化はNATO(ナトー)の成立を促し(1949年8月24日発効)、さらに欧州防衛共同体を設置する条約の署名に連結した(1952年5月27日)。このような西欧防衛体制の整備により、ブリュッセル条約はその存在理由を失うかにみえた。しかし、1954年8月、フランスが欧州防衛共同体条約の批准を拒否し、欧州防衛の中核体は成立しなかった。この事態に対処すべく、ブリュッセル条約の蘇生(そせい)化が図られた。原加盟5か国のほか、西ドイツ(現ドイツ)とイタリアを加え、ヨーロッパの漸進的な一体化を図る西ヨーロッパ連合(西欧同盟)Western European Union, WEUが成立した(1954年10月23日署名、55年5月7日発効)。
[森脇庸太]
WEUには1988年にスペイン、ポルトガル、92年にギリシアが加盟した。現在、WEUはEU(ヨーロッパ連合)の集団防衛機能を担当している形になっているが、EUへの完全統合を目ざしている。
[編集部]
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ブリュッセル条約(ブリュッセルじょうやく)
1948年3月イギリス,フランス,ベルギー,オランダ,ルクセンブルクの5国による西欧同盟条約で,のちのNATO(ナトー)のひな型である。正式には「経済・社会および文化的協力,ならびに集団自衛のための条約」という。最高機関に各国外相からなる諮問理事会のほか,同じく国防相,蔵相からなる防衛・財政両委員会などが置かれた。54年10月のパリ協定成立によって発展的に解消した。
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「ブリュッセル条約」の意味・わかりやすい解説
ブリュッセル条約【ブリュッセルじょうやく】
1948年英,仏,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの5ヵ国がブリュッセルで締結した条約。後の北大西洋条約のひな型で〈経済的・社会的・文化的協力および集団的自衛のための条約〉が正称。これに基づき西ヨーロッパ連合(WEU)が成立した。条約は1954年廃止。
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世界大百科事典(旧版)内のブリュッセル条約の言及
【ヨーロッパ共同体】より
…ヨーロッパにおける三つの超国家的な地域統合機構であるヨーロッパ経済共同体(EEC),[ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体](ECSC),および[ユーラトム](ヨーロッパ原子力共同体EURATOM)の総称。ECと略称するが,1992年の[マーストリヒト条約]によって誕生したヨーロッパ連合(EU)の一部となった。3共同体の立法機関である理事会と執行機関である委員会が,1965年4月に調印された融合条約によって,単一のEC理事会(通称は閣僚理事会)と単一のEC委員会に統一されることになり,67年7月1日を機に3共同体は機構的に統一され,以後ヨーロッパ共同体と呼ばれることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」