ブリンガー(その他表記)Johann Heinrich Bullinger

改訂新版 世界大百科事典 「ブリンガー」の意味・わかりやすい解説

ブリンガー
Johann Heinrich Bullinger
生没年:1504-75

スイスの宗教改革者。チューリヒに近いブレームガルテンに生まれ,ケルン聖書および教父の研究に従事し,ルターメランヒトンの書から影響を受けた。1522年帰郷して教師となり,28年に説教者となる。31年ツウィングリ死後,その後任者としてチューリヒ教会の充実をはかった。教理を解説した《説教集》は代表的著作でオランダ,イギリスでも翻訳が読まれ感化が大きかった。穏健な理論と豊かな学識をもつ当代一流の神学者であった。49年にはジュネーブ教会を代表するカルバンとの間に〈チューリヒ協定〉を結んで改革派の聖餐論を統一した。62年に個人的確認また神学的遺言として一つの信仰告白文を書くがこれは《第2スイス信仰告白》の名で公的に採用され,改革派でもっとも広く用いられる信仰告白となった。これに先行する《第1スイス信仰告白》は別名《第2バーゼル信仰告白》といい,1536年にブリンガーが他のスイスの改革者とともに作ったものである。
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百科事典マイペディア 「ブリンガー」の意味・わかりやすい解説

ブリンガー

スイスの宗教改革者。人文学を修め,ルターらの論著に接してプロテスタントの信仰に傾く。チューリヒに赴いてツウィングリとの交わりを深め,彼の没後あとを継いでチューリヒ教会を指導した。《説教集》,二つの《スイス信仰告白》などは,全ヨーロッパの改革派教会に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のブリンガーの言及

【改革派教会】より

…これが改革派の源流である。ついでカルバンとブリンガーによって改革派の統合が行われ,主としてジュネーブが拠点となって1550年代にフランス,スコットランド,ネーデルラント(オランダ,ベルギー),ドイツ(1543年以来東フリースラント,1563年以来プファルツ選挙侯領),南ポーランド,ハンガリーに浸透した。12世紀のワルドの流れを汲む北イタリアのワルド派は1532年から改革派の一翼に加わっている。…

※「ブリンガー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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