プトレマイオス1世(英語表記)Ptolemaios Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「プトレマイオス1世」の意味・わかりやすい解説

プトレマイオス[1世]
Ptolemaios Ⅰ
生没年:前367か366ころ-前283

ヘレニズム時代のエジプト王国プトレマイオス朝の創建者,初代の王。在位,前317-前283年。マケドニア貴族ラゴスLagosの子。初めアレクサンドロス大王の侍従となり,幕僚として東征に従軍。大王の没後遺骸を擁していち早くサトラップ総督)としてエジプトに割拠し,ディアドコイ一人として後継者争覇に加わり分離派にくみした。前304年以降王を称し,東地中海制覇を国策として小アジア南域のキリキアキプロスをも領有。その間ロドス島市民たちから〈ソテルSōtēr(解放者,救済者)〉の尊号を受け,没後これが彼の神化の諡(おくりな)となった。内政の基本を確立したほか,アレクサンドリアの学園ムセイオンや国家神祇セラピス神をも創設した。

 また東征中の軍務日誌に基づいて,晩年《アレクサンドロス大王史》を著し,史家アリアヌスの典拠となった。著作自体は伝存しないが,公正的確な叙述だったとして高く評価されている。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「プトレマイオス1世」の解説

プトレマイオス1世(救済者)(プトレマイオスいっせい(きゅうさいしゃ))
Ptolemaios Ⅰ (Soter)

前367頃~前283

アレクサンドロス大王部将ディアドコイの一人。大王の死後エジプトにおもむいて前304年以後,王を称し,東部地中海地域に領土を広めるとともに,アレクサンドリア経営に努め,王国の基礎を築いた。

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世界大百科事典(旧版)内のプトレマイオス1世の言及

【エジプト】より

…王は行政(司法を含む),祭祀の最高責任者であり,みずから行うべき機能を委任して代行させるものとして官僚・神官の任命権を握り,要職には王族をあてた。地方には40あまり(プトレマイオス王朝では42)の州(ノモスnomos)が置かれ,州知事が任命された。州は守護神を共同信仰する共同体あるいは部族国家を原型とすると思われるが,初期王朝時代に整備された貯溜式灌漑水路網の一単位に相当し,それぞれが公儀宗教に組み込まれた州の守護神をもつ。…

【セラピス】より

…サラピスSarapisともいう。もとは古代エジプトの死者の神オシリスと合一した聖牛アピスApisの尊崇だったが,これにギリシア神祇の観念を加えてプトレマイオス1世がその王朝の国家神として創設した。神像はゼウスの容貌をもち,ときに冥界の主ハデス(プルトン)を示す枡を頭に載せる。…

【ディアドコイ】より

…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世リュシマコスセレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…

【プトレマイオス王国】より

…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…

【ムセイオン】より

…学問の府としてヨーロッパ近世に至るまでこれに比肩するものはない。プトレマイオス1世がアテナイの文人政策家ファレロンのデメトリオスを招いて王宮内域に創建し,次の2世,3世の代に最も栄えた。歴代の王は私財を投じて海外から学者を集め,彼らに手当と食事とを給し,財を共有する団体として研究に従事させた。…

※「プトレマイオス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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