プルキンエ
ぷるきんえ
Johannes Evangelista Purkyně
(1787―1869)
チェコの生理学者。リボチョビスの生まれ。幼年時代を修道院で過ごしたのち、プラハ大学に入学し医学を学び、卒業後1819年にプラハ大学の解剖学生理学助手、36歳でブレスラウ大学の生理学病理学教授に就任し、多くのすばらしい業績を残した。粘膜の繊毛運動、心臓のプルキンエ線維、小脳のプルキンエ細胞、目におけるプルキンエ‐サンソンの像などの発見や研究の成果は、彼の名を不朽にしている。また膵液(すいえき)の脂肪、タンパク消化力についての研究、組織標本におけるミクロトーム、カナダバルサムの使用ももっとも早かった。また皮膚へ油滴をつけ毛細管網を顕微鏡で観察する方法も彼の独創であった。業績の多くは『ミュラーの生理学雑誌』Müller's Archiveに発表されている。1869年7月28日プラハで死去。
[中山 沃]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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プルキンエ
Jan Evangelista Purkyně
生没年:1787-1869
プルキニェともいう。チェコスロバキアの解剖学者,組織学者,発生学者,そして生理学者で,これらの諸方面において画期的な業績をあげた。生れはボヘミアのリボホビッツェ。プラハ大学医学部で学び,1819年学位を受けるとともに同大学解剖・生理学助手となり,23年ブレスラウ大学の生理・病理学教授となる。50年プラハにもどり,生理学の教授となり,死ぬまでその職にあった。おもな業績としては,人の神経細胞に核を発見(1836),T.シュワンより2年早く細胞説を提唱(1837),繊毛運動の発見(1835),鳥の胚盤胞の発見,人体各部の微細構造の記載,ミクロトームの最初の使用,小脳皮質内のプルキンエ細胞の発見などがある。また感覚生理では視覚について業績が多く,照度をしだいに低くすると,色がしだいに短波長側に移動してみえる現象は,プルキンエ現象と呼ばれている。
執筆者:中川 米造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のプルキンエの言及
【プルキンエ現象】より
…1825年にJ.E.プルキンエは,暗くなるにつれて絵の中の青い色の部分がしだいに明るく鮮やかに見えてくるのに反し,赤い色の部分はしだいに暗く異常に生彩を失って見えてくることを発見した。この現象はその後いろいろな角度から検討されて,プルキンエ現象と名付けられた。…
※「プルキンエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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