改訂新版 世界大百科事典 「プロイセン一般ラント法」の意味・わかりやすい解説
プロイセン一般ラント法 (プロイセンいっぱんラントほう)
Allgemeines Landrecht für die preussischen Staaten
フランス民法典(ナポレオン法典)やオーストリア一般民法典と並ぶ18世紀プロイセンの大法典。1780年フリードリヒ2世(大王)の命により,従来の継受ローマ法(ローマ法の継受)の適用を排し,新たに理性とラントの事情に適合し補充的効力をもつ一般法典をつくる目的で,法典編纂事業が開始された。その推進力となったのは,カルマーJohann Heinrich Casimir Carmer(1720-1801)やスバレツCarl Gottlieb Svarez(1746-98)らの啓蒙司法官僚である。1791年には,その成果として〈プロイセン一般法典Allgemeines Gesetzbuch für die preussischen Staaten〉(AGB)が完成したが,フランス革命の過激化とともに,この法典を危険視する反動勢力の陰謀により,その施行は無期延期となった。その後ポーランドの第2分割によって取得された新領土のプロイセン化の必要から,この法典の施行が可能になった。一般法典は,さらに修正をうけ,一部の規定を削除され,プロイセン全土に施行されることになった(1794年6月1日)。そのさい,法典の名前も一般ラント法に変更された。この法典は,前記の民法典と異なり,公私法を含む大法典である。また18世紀末の啓蒙絶対主義国家の法的作品として,よくその時代の特徴を表しており,取引社会の進展や自然法思想の影響のもと,形式的自由・平等への方向が示されているが,なお既存の身分制的社会構造を維持し,社会的諸矛盾を後見的福祉国家の介入を通じて克服しようとしている。その後の市民的改革により廃止された規定も多いが,民法の領域では,1900年にドイツ民法典が施行されるまで通用していた。
執筆者:石部 雅亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報