ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
プロデューサー・システム
producer system
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(扇田昭彦 演劇評論家 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…その最大の犠牲者が〈完全主義者〉のE.vonシュトロハイム監督で,《愚かなる妻》(1921)は30巻(34巻ともいわれる)だったが10巻に短縮され,《グリード》(1923)は42巻の大作だったが24巻,18巻,そしてさらに10巻に縮められて公開された。こうしたハリウッドの〈プロデューサー・システム〉を逆手にとり,みずからプロデューサーになって自分の作品を作ることに成功した監督も少なくない。チャップリン,デミル,キャプラ,ルビッチ,フォード,ホークス,ヒッチコック,マンキーウィッツ,ワイルダー等々である。…
…また劇団の経営主体により国立劇団(国立劇場),公立劇団,私立劇団の区別も生まれた。その一方,商業劇場では,アメリカで発達した演劇制作者(プロデューサー)主体のオーディション制度が各国にも普及し,制作者がある演目を公演する都度,それにふさわしい俳優を特定の所属劇団等に制約されない自由な形で,公募等の形も含めて組織する,いわゆるプロデューサー・システムによる上演集団づくりも行われている。
[日本の新劇団]
日本では,明治以降の演劇近代化に基づく新劇団として,1888年(明治21)大阪で角藤定憲(すどうさだのり)一座,91年堺で川上音二郎一座がそれぞれ旗あげして,新派劇の基盤をつくった。…
…しかし,これには経済的な危険がともない,その障害はひとつには国・公の財政援助をまってはじめて乗り越えられることが,両大戦を経て,国家体制のいかんを問わず,ことにヨーロッパで結果的に証明されている。また,現代資本主義の先進国アメリカでは,特定の劇団や劇場によるのではなく,ある作品の興行ごとに1人あるいは少数のプロデューサーが,それにふさわしい俳優,演出家などを自由に選ぶ各種のプライベートなプロデューサー・システムが全盛であることは特記しておくべきであろう。日本の現況では,既成の新劇団による公演がなお大勢として支配的だが,それらの演劇興行は必ずしも大きな利益を生みだすものではなくマスコミ,とくにテレビが俳優たちの収入源,そして間接的には劇団の収入源ともなっており,その意味ではテレビが今日の新劇のパトロンといっていいかもしれない。…
…インスは,この撮影所に〈ワイルド・ウェスト・ショー〉をまるごと雇用し,ほんもののカウボーイ,インディアン,バッファローを使って西部劇を製作したが,同時に詳細緻密(ちみつ)な撮影台本shooting scriptを採用し,撮影所を機能別に10部門に分けて〈分業化〉を進めた。これは,撮影所全体をインスの意志のもとに統一した分業化で,のちに映画の製作システムとして確立された〈プロデューサー・システム〉の先駆的な導入でもあった。さらに,ハリウッドの歴史に残る一つは,映画トラストに反対する〈インデペンデント・モーション・ピクチャーズ〉の中心的人物であったC.レムリ(1867‐1939)が,15年にサン・フェルナンド・バレーに建設した〈ユニバーサル・シティ〉と呼ばれる230エーカーの映画都市studio municipalityである。…
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【プロデューサーと路線】
映画の隆盛にとってはまず映画製作の指揮をとる大プロデューサーの存在が不可欠であり,ことに1950年代の量産時代に各社が打ち出した〈路線〉は,そうしたプロデューサーにより決定された。 東宝では,森岩雄が前身のPCL時代からアメリカ映画のシステムに学んで映画事業経営の合理化・近代化をめざし,プロデューサーの主導権を重視した〈プロデューサー・システム〉を採用,戦後も同じ方針を貫いた。そしてその下から,東宝青春映画路線の基礎をつくった藤本真澄(さねずみ),《ゴジラ》(1954)をはじめとする特撮映画路線をつくった田中友幸らのプロデューサーが育った。…
…ことに放送においては,プロデューサーは演出者directorを兼ねることが多い。 プロデューサーが中心となる方式(プロデューサー・システム)は主に映画と演劇で発達したが,映画でははじめにスター・システム(主演俳優中心主義)があり,次いで演出者が中心となるディレクター・システムを経ており,主にアメリカ(ハリウッド)で成立した。演劇もアメリカ(ブロードウェー)において,それまでのレパートリー・システムおよび劇団制に対する興行方式として発達した。…
…横浜生れ。日本映画に〈プロデューサー・システム〉を導入して,東宝の映画事業の基盤をつくり,また日本の〈アート・シアター〉の命名者,創立者としても知られる。 大正の中期から昭和の初期にかけて外国映画の輸入をし,映画評論や脚本を書き,F.モルナールの《リリオム》の翻案といわれる村田実監督《街の手品師》(1925)のシナリオライターとして,創立10年余りをへて新しい知識と才能を求めていた日活に招かれた。…
…このような興行方式は,劇団組織が主体となって,各シーズンに数種の演目を交互に上演するレパートリー・システムとは対照的である。もともと舞台装置や舞台衣裳に膨大な経費を要し,また高額な宣伝費をかけなければ成功を期待できないミュージカルの制作者が,投資額の回収のために採用した方式であり,したがって,興行を1人のプロデューサー,あるいはその共同体であるプロダクションが主催するいわゆるプロデューサー・システムと切り離しては,ロングラン・システムの成立は考えられない。ミュージカルの長期公演記録としては,《マイ・フェア・レディ》の2717回がある。…
※「プロデューサー・システム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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