ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘラクリウス1世」の意味・わかりやすい解説
ヘラクリウス1世
ヘラクリウスいっせい
Heraclius I
[没]641.2.11. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 610~641) 。カルタゴ総督の父の命により,暴君フォーカス帝を倒して即位,ヘラクリウス朝を創始した。そのとき小アジアはササン朝のペルシア軍に,バルカン半島はスラブ族の手中にあり,一時はカルタゴへの遷都を意図したほど帝国は危機に直面していた。 622~628年ペルシアに遠征して小アジアを奪還,630年異教徒に持去られた聖十字架をエルサレムに取戻すことに成功。しかし続いて起った新興イスラム勢力とのヤルムークの戦いで敗れ (636) ,シリア,メソポタミア,エジプトの地を失った。内政的には属領統治にはテマ制度,中央政府にはロゴテテス制度を導入,政治機構の改革をはかった。公用語もギリシア語とするなど,ビザンチン初期のローマ色を脱皮し,中世ビザンチン帝国の第1歩を踏出した。
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