日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘラクレイオス朝」の意味・わかりやすい解説
ヘラクレイオス朝
へらくれいおすちょう
ビザンティン帝国中世初頭の王朝(610~711)。カルタゴ総督の長男ヘラクレイオス帝に始まり、コンスタンティノス2世Konstantinos Ⅱ、ヘラクレオナスHeracleonas、コンスタンティノス3世、同4世、ユスティニアヌス2世よりなる。バルカン半島ではスラブ、アバール人の南下と定住、続いてブルガリア人の独立(第一次ブルガリア王国、680)。東部ではヘラクレイオス帝のペルシア遠征(622~628)の成功により、シリア、アルメニア、エジプトが一時的に帝国領となった。だがそれも、続くイスラムの台頭によりカルタゴの総督府ともども失われ、さらには首都コンスタンティノープルすらもカリフの執拗(しつよう)な攻撃を受け(663~678)、帝国は危機にたたされた。こうした激動は行政機構の改革(中央の「ロゴテシア制」、地方の「テマ制」)や社会構造の変革(大土地所有者に対する中小自由農民の増加)を生んだ。ラテン語にかわりギリシア語が公用語とされるなど、脱ローマ色の濃い転換期の王朝であった。
[和田 廣]