日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルトン」の意味・わかりやすい解説
ヘルトン
へるとん
Tod Lynn Helton
(1973― )
アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のコロラド・ロッキーズで一塁手としてプレー。攻守とも高い技術をもつ球界を代表する選手で、好機に強い打者としても評価が高い。
8月20日、テネシー州ノックスビルに生まれる。高校時代から野球とアメリカン・フットボールで才能をみせ、高校時代にはサンディエゴ・パドレスからドラフト2巡目に指名を受けるが拒否して進学。テネシー大学では野球部で活躍する一方、アメリカン・フットボール部のクォーター・バックとして全米にその名をとどろかせた。1995年、ドラフト1巡目指名(全米8番目)でロッキーズに入団。同年、マイナー・リーグのA級に配属され、54試合に出場し、打率2割5分4厘を記録。翌96年はAA級に上がり、その後AAA級に昇格、21試合で打率3割5分2厘をマークする。1997年は開幕からAAA級で強打をみせ、99試合で3割5分2厘、ホームラン16本、打点88を残し、メジャー昇格を果たす。デビュー戦はチーム事情で左翼を守ったが、2打席目に初ヒット、3打席目に初ホームランを放っている。1998年からレギュラー一塁手となり、打率3割1分5厘、ホームラン25本、打点97を記録。また、得点圏打率はチームトップの3割8分6厘をマーク。新人王の投票ではケリー・ウッドに次いで2位となる。1999年も順調な成長を遂げて、打撃3部門すべてで前年を上回る成績をあげた。2000年は4月から快調に打ち、5か月連続で4割をマークするなど、打率3割7分2厘で初の首位打者、147打点で打点王も獲得。また、リーグの最優秀打者に贈られるハンク・アーロン賞を受賞、オールスター・ゲームにも初出場している。2001年は二塁打を54本打ち、史上7人目の2年連続二塁打50本以上を記録。さらに、守備率9割9分9厘で初のゴールドグラブ賞に輝く。2002年も超一流打者の目安といわれる「3割30本100打点」(打率3割以上、ホームラン30本以上、打点100以上)をクリア。2003年は打率3割5分8厘4毛でアルバート・プーホルスと最後まで激しく首位打者争いを演じたが、わずか2毛差で2位に終わる。2004年、05年もコンスタントに打ち、楽々と3割をマーク。2006年は体調不良で打率は3割2厘まで低下したが、98年から9年連続打率3割以上を記録した。
[出村義和]
2007年以降
2007年は154試合に出場、打率3割2分で、連続シーズン3割以上を10年に伸ばした。9月には、通算300号ホームランも記録。攻守にわたってチームのワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)によるプレーオフ進出に貢献した。
2007年までの通算成績は、出場試合1578、安打1878、打率3割3分2厘、本塁打303、打点1087。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、最多安打1回、打点王1回、ゴールドグラブ賞3回。
[編集部]