日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルニオー」の意味・わかりやすい解説
ベルニオー
べるにおー
Pierre-Victrin Vergniaud
(1753―1793)
フランス革命のジロンド派議員。ミラボー、ダントンと並ぶ雄弁家。リモージュで生まれる。リモージュ学院に在学中、同地方監察官チュルゴーにみいだされ、パリに遊学。ボルドーでさらに法学を学ぶ。1781年にボルドー高等法院の弁護士となる。モンテスキュー、マブリ、ボルテール、ルソーなどの書に親しんだ。91年立法議会議員となり、即興の演説で鳴らした。革命戦争が起こるや、ルイ16世を督励し、「憲法が貴殿に三軍の大元帥の地位を与えているのは、わがフランスの栄光のためか、それとも汚辱のためなのか」と議場で絶叫した。ロラン夫人のサロンに出入りする。92年8月10日、王宮に侵入したパリ市民の暴虐を眺め、「首都の畜群はもはや手のつけられぬほど、コミューンに飼いならされている」と嘆じた。92年9月国民公会の議員となり、ジロンド派の領袖(りょうしゅう)としてダントンと結び、山岳派との妥協を図ったがならず、雄弁を駆使してしばしばロベスピエールと対決した。93年6月2日、山岳派との政争に敗れ、29名のジロンド派同志とともに、国民公会から除名された。なおパリにとどまり、山岳派の独裁を告発し続けたが、10月に逮捕され、断頭台にかけられた。
[金澤 誠]