ペルス=ライケン(読み)Pels‐Rijcken,Gerhard Christiaan Coenraad

朝日日本歴史人物事典 「ペルス=ライケン」の解説

ペルス=ライケン

没年:1889.5.2(1889.5.2)
生年:1810.1.8
オランダの海軍士官。江戸幕府軍艦建造の要望に基づきオランダ国王が寄贈した汽船「スンビン号」の艦長大尉。1855年7月22日に長崎に到着し,同号を幕府に引き渡す。幕府は同大尉以下22名の乗組員教官として雇い入れ,長崎に海軍伝習所を開設。教育班長ペルス=ライケンは正式なお雇い外国人として,2年間,勝海舟らの幕臣や佐賀,鹿児島(薩摩)藩などの藩士らに海軍の学科,技術などを教えた。生徒らは「観光丸」(スンビン号の改称)を操縦して長崎―江戸間の航海に成功した。カッテンデイケと交代し,帰国後,海相など要職歴任。<著作>『長崎海軍伝習所の日々』(水田信利訳)<参考文献>高橋邦太郎『お雇い外国人(軍事)』

(影山好一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルス=ライケン」の意味・わかりやすい解説

ペルス・ライケン
Pels Ricken, G. C. C.

[生]1810
[没]1889.5.2.
オランダの海軍軍人安政2 (1855) 年7月オランダから江戸幕府に寄贈された軍艦『スンピン』号艦長として来日,同年 11月より同4年9月の後任教育班長カッテンディーケ来着まで 22人のオランダ海軍教官団の団長として,新設された長崎の海軍伝習所において,近代海軍の伝習を行なった。本国に帰国後,海軍中将まで昇進。 1866年6月より2年間海軍大臣をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ペルス=ライケン」の解説

ペルス=ライケン Pels Rijcken, G.C.C.

1810-1889 オランダの軍人。
1810年1月8日生まれ。オランダが日本におくった海軍第1次教育派遣隊の隊長。安政2年(1855)幕府におくられた軍艦スンビン号(のち観光丸)で来日,同年開設の長崎海軍伝習所で勝海舟ら伝習生に2年間にわたり航海術などをおしえた。のちオランダ海相。1889年5月2日死去。79歳。

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