ペルー史(読み)ペルーし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルー史」の意味・わかりやすい解説

ペルー史
ペルーし

ペルーは,13~15世紀にクスコを中心として高度の繁栄を誇ったインカ帝国故郷であり,すでに紀元前からの地方的先進文明の遺跡が数多くみられる。インカ帝国は 1532~33年に F.ピサロの率いるスペイン軍によって簡単に征服された。以後3世紀間スペインの支配下に入るが,42年ペルー副王領が設置されてからは南アメリカ経営の拠点となり,19世紀初頭ラテンアメリカ全域を巻込んだ独立戦争の際も,長く王党派牙城となっていた。 1821年チリから北上した J.サン=マルティン軍が副王を追放し,同年7月ペルー独立を宣言。後継者 S.ボリバルの率いた独立軍の勝利によって,24年独立を達成した。しかしスペインは 64~69年の再征服失敗まで,独立を承認しなかった。独立後も政情は不安定で革命が相次ぎ,R.カスティリア大統領 (在任 1845~51,55~62) や A.レギア・イ・サルセド大統領 (在任 1908~12,19~30) の独裁時代に経済的発展がみられたが,その間太平洋戦争 (1879~83) で再度チリに敗北領土の一部を喪失した。 1920年代に成立したアプラ運動により,国民の覚醒が進み,近代化が推進されたが,30~60年代にかけ,改革に批判的な軍部との間に激しい対立が起り,第2次世界大戦後,48,62,68年と3度軍事クーデターが発生している。 68年に成立した J.ベラスコ・アルバラード政権は,資源国有化,外国系企業の接収農地改革キューバとの国交回復など,民族主義的な「ペルー革命」路線を推進したが財政難に陥り,75年8月に軍部穏健派の F.モラレス将軍が無血クーデターで政権を掌握。非マルクス主義的社会主義への漸進的発展を唱え,外資導入をはじめ,親アメリカ,和解の方向を求めた。しかし 70年代末になると,ゼネストおよび市民の反政府暴動が起り,民政復帰の要求が高まった。 78年6月民政移管が行われ,80年5月の大統領選挙で F.ベラウンデ・テリーが当選した。 90年6月日系人の A.フジモリ政権が誕生。テロの頻発,汚職腐敗,経済などの問題をかかえるなか,93年新憲法が採択された。

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