ボークラン
ぼーくらん
Nicolas Louis Vauquelin
(1763―1829)
フランスの分析化学者。ルーアンの薬局で徒弟奉公ののち、パリに出てフールクロアに認められ、助手となった。鉱山大学、自然史博物館などの化学教授を歴任、1811年フールクロアの後任として医科大学教授に就任した。実験家として優れ、1797年シベリア産の紅鉛鉱からクロムを発見、翌1798年その単離に成功。また同年緑柱石からベリリウムを発見した(単離は1828年ウェーラーとビュシーAntoine A. B. Bussy(1794―1882)による)。有機物では、アスパラギンの発見(1805)、リンゴ酸やキニン酸の研究、骨や脳、血液の分析などがある。
[内田正夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ボークラン
Nicolas Louis Vauquelin
生没年:1763-1829
フランスの分析化学者。ノルマンディー地方の農家に生まれ,ルーアンの薬局で徒弟奉公ののち,パリに出てフルクロアA.F.Fourcroy(1755-1809)の助手となり,以後多くの研究を共同で行った。鉱山監督官や,鉱山大学,自然史博物館などの教授を歴任し,1811年フルクロアの後任として医科大学の化学教授となった。1797年シベリア産の紅鉛鉱からクロムを発見し,翌年その単離に成功。また同年緑柱石からベリリウムを発見した。有機化学の分野では,リンゴ酸やキニン酸の研究,アスパラギンの発見,脳や血液の分析などがある。これらの研究における化学分析の手腕はドイツのM.H.クラプロートと並び称された。
執筆者:内田 正夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ボークラン
Vauquelin, Nicolas-Louis
[生]1763.5.16. サンアンドレデベルト
[没]1829.11.14. サンアンドレデベルト
フランスの化学者。農家の生れ。 14歳で薬屋に奉公し,そこで F.フールクロアに見出され,その助手となる (1783~91) 。パリのエコール・ポリテクニク教授 (95) ,コレージュ・ド・フランス教授 (1801) 。のちフールクロアの後継者としてパリ医学校の化学教授 (09) 。 1797年のクロムの発見に続いてベリリウムを発見し,またキナ酸の発見,アスパラギン,ショウノウ酸の発見でも知られる。下院議員に選出された (27) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のボークランの言及
【クロム】より
…周期表元素記号=Cr 原子番号=24原子量=51.9961±6地殻中の存在度=100ppm(20位)安定核種存在比 50Cr=4.31%,52Cr=83.76%,53Cr=9.55%,54Cr=2.38%融点=1890℃ 沸点=2482℃比重=7.188(20℃)電子配置=[Ar]3d54s1おもな酸化数=II,III,IV,VI周期表第VIA族に属する元素の一つ。1797年フランスのN.L.ボークランがシベリア産紅鉛鉱(主成分PbCrO4)中から発見し,その化合物の美しい色からギリシア語のchrōma(色)にちなんで命名した。1854年ドイツのR.W.ブンゼンは塩化クロム(II)CrCl2水溶液の電解ではじめて少量の金属単体を分離し,99年ドイツのゴルトシュミットHans Goldschmidtが[テルミット法]によって比較的純粋な金属クロムを得ることに成功した。…
※「ボークラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」