ポッジョ・ブラッチョリーニ
Gian Francesco Poggio Bracciolini
生没年:1380-1459
イタリアの人文主義者。アレッツォ近郊に生まれ,フィレンツェに出てサルターティに兄事して古典ラテン語の名文家と成り,教皇庁に書記の職を得た。コンスタンツ公会議への随行や休暇の機会をとらえて,ザンクト・ガレンやクリュニーをはじめヨーロッパ各地の修道院を訪れ,蔵書の中からローマ古典文学の古写本を探し集めた。彼が再発見し人文主義者仲間を通じて世に送り出した古典作家は,キケロ(弁論の一部),クインティリアヌス,ウァレリウス・フラックス(部分),アスコニウス,フェストゥス,ルクレティウス,スタティウス(《詩叢(シルウァエ)》),マニリウスなど多数にのぼっている。イギリス訪問(1418-22)では古写本の収穫はなかったものの,イギリスにイタリア人文主義のいぶきを伝え刺激を与えた。また,彼は当時兆しつつあった古典ギリシア語習得への熱意にはほとんど関心を払わなかったが,ローマ時代のラテン語碑文には注目してみずから記録収集し,碑文研究の先鞭を付けた。晩年はフィレンツェに帰り,かつてサルターティが才腕を振るっていた書記官長の職に就き,かたわら《フィレンツェ史》を執筆した。
執筆者:片山 英男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ポッジョ・ブラッチョリーニ
Poggio Bracciolini, Gian Francesco
[生]1380.2.11. テラヌオーバ
[没]1459.10.30. フィレンツェ
イタリアの人文学者,文献学の開拓者。 1403年教皇ボニファチウス9世の秘書となり,14年ヨハネス 23世に従ってコンスタンツ公会議におもむき,15年クリュニーでキケロの演説2編を再発見したのを皮切りに,クインチリアヌスの『雄弁論』,ルクレチウスの『物の本性について』など多くの古代写本を発掘し,みずから筆写した。『フィレンツェ史』 Historia florentina (8巻) を書いたほか,『人間の条件の悲惨について』 De miseria humanae conditionis (1455) など,悲しみとペシミズムをたたえた多くの道徳的対話篇を残した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のポッジョブラッチョリーニの言及
【メディチ家】より
…1737年,かれは世継ぎを残さずに死去し,メディチ家は断絶する。【在里 寛司】
[メディチ家蔵書]
メディチ家第2代当主コジモはニッコロ・ニッコリやポッジョ・ブラッチョリーニらの収書活動に援助を与え,また彼らの協力を得てギリシア・ローマ古典や教父著作の古写本を自らも買い集めたが,ニッコリが死ぬと,彼が遺贈した収書を基に自らの蔵書の一部も加えて1447年サン・マルコ修道院内に図書室を開設し,一般に公開して利用に供した。収書熱は息子のピエロをはじめとする後代にも引き継がれ,とくに第3代当主ロレンツォはラスカリスに委嘱して旧ビザンティン帝国領内に散在するギリシア古典写本を系統的に集めさせた。…
※「ポッジョブラッチョリーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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