改訂新版 世界大百科事典 「サルターティ」の意味・わかりやすい解説
サルターティ
Lino Coluccio di Piero Salutati
生没年:1331-1406
イタリア,フィレンツェの人文主義者。スティニャーノ出身。トーディ(1367),ルッカ(1371)の書記官長を経て,1375年フィレンツェ書記官長に就任し,複雑になった当時の都市国家の事務を官僚の最高指導者として終身担当し,外交文書や国内の法令に使用するための洗練されたラテン語の文体を磨いた。古代の言語や文学に心酔した彼は,国際紛争の解決を,武力にかえて弁論の力に頼ろうとした。彼の筆を恐れたミラノ僭主ジャン・ガレアッツォ・ビスコンティは,〈サルターティの筆は,1000人の騎兵にひとしい〉と述べた。サルターティは,複数の古代の写本を比較検討し,校訂作業をおこなって,古典研究にはじめて文献批判の方法を導入した。また彼が公務のために書いた書簡は,共和政への愛情と僭主政治への嫌悪によって貫かれている。それはミラノの僭主政と戦っていたフィレンツェ市民にたいし,共和政をまもり,愛国心を訴えたプロパガンダであり教育であった。彼のもとでルネサンスの人文主義は,ペトラルカに見られる高踏的,個人的傾向から,共和的,市民的,倫理的傾向に移った。彼は個人的意識においては,〈良き生活〉は各人の意志の力によって導かれると考えた。人々は共同して真実のために人生を戦わねばならぬという考えと,人間の意志の力と行動的な生活を優先させる態度は,ルネサンス精神の重要な礎石である。
執筆者:永井 三明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報