ポッツォ・ディ・ボルゴ(その他表記)Pozzo di Borgo, Carlo Andrea

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポッツォ・ディ・ボルゴ」の意味・わかりやすい解説

ポッツォ・ディ・ボルゴ
Pozzo di Borgo, Carlo Andrea

[生]1764.3.8. アラタ
[没]1842.2.15. パリ
ロシア外交官コルシカ島貴族の家に生れた。フランス革命中コルシカ選出議員として活躍したが,ナポレオン1世のコルシカ政策と対立して,イギリス,次いでロシアと接触。皇帝アレクサンドル1世片腕として活発な外交活動を行い,一貫して反ナポレオン的態度をとった。ナポレオン退位後はロシア宮廷でフランスの利益を代弁,その功績でフランス政府から伯爵に叙せられた。 1814~35年パリ駐在大使,35~38年ロンドン駐在大使としてロシアのために働いたが,晩年はそのフランスへの過度の同情のため,ロシア政府にうとまれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポッツォ・ディ・ボルゴ」の意味・わかりやすい解説

ポッツォ・ディ・ボルゴ
ぽっつぉでぃぼるご
Carlo Andrea Pozzo di Borgo
(1764―1842)

フランス、コルシカの貴族、政治家。のちロシアの外交官。フランス革命後コルシカ選出議員としてパリで活躍したが、ナポレオン軍のコルシカ占領とともにイタリアに逃れ、イギリスさらにウィーンを経て、1804年ロシアの外交官となった。ナポレオン支配に反対し、ナポレオン敗退後ウィーン会議(1814~15)に出席した。21年からは駐仏大使としてブルボン朝とロシアとの協調関係の確立に努めた。35~39年駐英大使。パリで没した。

[栗生沢猛夫]

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367日誕生日大事典 「ポッツォ・ディ・ボルゴ」の解説

ポッツォ・ディ・ボルゴ

生年月日:1764年3月8日
ロシアの外交官,伯爵
1842年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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