改訂新版 世界大百科事典 「世羅」の意味・わかりやすい解説
世羅[町] (せら)
広島県中東部,世羅郡の町。2004年10月甲山(こうざん)町,旧世羅町,世羅西(せらにし)町が合体して成立した。人口1万7549(2010)。
甲山
世羅町東部の旧町。世羅郡所属。人口6875(2000)。世羅台地東部にあり,芦田川および支流の山田川,宇津戸川が高原地帯を流れる。1186年(文治2)に後白河法皇が高野山金剛峯寺に寄進した大田荘の中心地であり,甲山盆地の中心集落甲山は,大田荘支配の拠点として建立された今高野山の門前町として発展,近世は石見路の宿駅として栄え,本陣などが置かれた。町域の大部分が山林で,米作,畜産,花卉栽培を行い,特産にマツタケ,シイタケがある。今高野山の竜華寺には平安初期の十一面観音立像がある。JR福塩線,国道184号,432号線が通じる。
世羅
世羅町中部の旧町。世羅郡所属。人口8768(2000)。標高450m前後の世羅台地中央部を占め,南部には甲山盆地がある。瀬戸内海へ流れる芦田川と,日本海へ流れる江の川水系の馬洗川,美波羅川の上流域で,分水嶺をなしている。古くからの水田地帯で,古代から中世にかけては高野山領大田荘に属した。米作,畜産が行われ,近年は高冷地野菜やナシ,リンゴの栽培も始まり,開拓事業として大規模梨園,国営広域営農団地がある。世羅台地周辺は古墳が多く,康徳寺古墳は郡内最大の横穴式石室をもつ円墳として知られる。国道184号,432号線が通じる。
世羅西
世羅町西部の旧町。世羅郡所属。人口4047(2000)。世羅台地の西部に位置し,日本海に注ぐ江の川水系の美波羅川,馬洗川の上流域を占める。中心地の小国(おぐに)は古くからの交通の要地で,市場町として発達した。米作や畜産を中心とする農業が行われている。世羅西青少年旅行村がある。
執筆者:清水 康厚
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報