ポットヒーテル(その他表記)Everhardus Johannes Potgieter

改訂新版 世界大百科事典 「ポットヒーテル」の意味・わかりやすい解説

ポットヒーテル
Everhardus Johannes Potgieter
生没年:1808-75

オランダの文学者。ズウォレ生れ。アムステルダムに住み,同志とともに《道標Gids》誌(1837-65)を刊行し,ロマン主義ナショナリズムの立場に立って,沈滞したオランダ文学革新ののろしをあげた。1843年以降同誌の編集者として重きをなし,種々の筆名を使って多くの寄稿を行った。65年編集同人のフエトBusken Huet(1860-1920)との意見対立で両人とも退き,晩年詩作と文学研究に没頭した。《ヤン奥さん末子》(1842)の平凡無気力な主人公ヤン・サリーにおいて時代精神の弛緩を痛烈に批判し,《アムステルダム国立美術館》(1844)その他において,17世紀黄金時代の文化と生活を規範として国民文化を再生すべしと説き,同時代のオランダ人の精神生活に警鐘を鳴らした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポットヒーテル」の意味・わかりやすい解説

ポットヒーテル
Potgieter, Everhardus Johannes

[生]1808.6.27. ズウォレ
[没]1875.2.3. アムステルダム
オランダの作家詩人。文化雑誌『案内』 De Gidsを創刊 (1837) ,国民文学の振興に努めた。主著寓話『ヤンとヤンチェと彼らの末の子』 Jan,Jannetje en hun jongste kind (42) ,散文『国立博物館』 Het Rijksmuseum (44) ,詩集『フロレンス』 Florence (68) 。

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世界大百科事典(旧版)内のポットヒーテルの言及

【オランダ文学】より

…また,フランス革命の影響によるオランダのフランス服属という民族受難のこの時期(1795‐1813)に,抒情詩《祈り》(1796),戯曲《フローリス5世》(1808)などを書いたビルデルデイクは,オランダ・ロマン主義の先駆として重要な役割を演じた。
[19~20世紀]
 1837年ポットヒーテルにより,自由主義に基づく国民文学の振興を旗じるしに《道標Gids》誌が創刊されると,民族的ロマン主義運動が盛んになり,ボスボーム・トゥサーン夫人Anna L.G.Bosboom‐Toussaint(1812‐86)が三部作《レスター伯》(1846‐55),《デルフトの呪術師》(1870)などの優れた歴史小説を書いた。一方,ベーツは写実的ユーモア小説の傑作《カメラ・オブスキュラ》(1839)を書き,またムルタトゥーリは自国の植民政策の非人道性を告発した小説《マックス・ハーフェラール》(1860)を発表し,その熱情的理想主義と斬新なスタイルは近代オランダ文学に絶大な影響を与えた。…

※「ポットヒーテル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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