日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポップ・グループ」の意味・わかりやすい解説
ポップ・グループ
ぽっぷぐるーぷ
Pop Group
イギリス、ブリストルで結成されたニュー・ウェーブ・ロック・グループ。ブリストルの高校の同級生であったマーク・スチュアートMark Stewart(1960―2023、ボーカル)、ギャレス・セイガーGareth Sager(ギター)、ブルース・ウィリー・スミスBruce Willie Smith(ドラムス)の3人は1976年ころから地元でのライブ活動を開始、すぐにジョン・ワディントンJohn Waddington(1960―2023、ギター)とサイモン・アンダーウッドSimon Underwood(ベース)が参加することになる。
ジャマイカ移民の多いブリストルの音楽性を反映し、彼らはレゲエやダブをパンク、ファンク、フリー・ジャズなどの諸要素と混合し、独特のサウンドをつくり上げていた。著名なパンク・バンドであったストラングラーズに認められたことがきっかけで、ポップ・グループはWEA傘下のレーダースコープと契約を結ぶ。レゲエ・バンド、マトゥンビのデニス・ボベールDennis Bovell(1953― )がプロデュースしたデビュー・アルバム『Y(最後の警告)』(1979)は、イギリスのバンドとして初めてダブの手法を本格的に用いたレコードともいわれる。
しかし、ボーカルのスチュアートが強力に打ち出す政治的姿勢をめぐって、バンドの人間関係は危機に陥る。アンダーウッドはバンドを離れ、かわりにダン・カツィスDan Catsis(ベース)が加入、スチュアートの脱退説もささやかれるなか、ポップ・グループは自身のインディー・レーベル「Y」を設立しシングルをリリースする。しかしすでにバンド存続はむずかしい状態になっていた。メンバーは個々に外部のミュージシャンと音楽活動を行うようになり、結局セイガーとスミスが1980年に脱退。その後セカンド・アルバム『ハウ・マッチ・ロンガー』For How Much Longer Must We Tolerate Mass Murder(1980)がリリースされたものの、バンドは事実上の解散を迎えることになる。最後までバンド存続に固執していたスチュアートも、ライブ録音や未発表曲を集めた『ウィー・アー・タイム』We Are Time(1980)がリリースされた時点で正式に解散を発表した。
ポップ・グループ解散後、メンバーはそれぞれのバンドで活動することになる。セイガーとスミスは、ネナ・チェリーNeneh Cherry(1964― 、ボーカル)らとともにリップ・リグ&パニックを結成、アンダーウッドはピッグバッグで活動、ワディントンはマキシマム・ジョイを結成する。スチュアートはイギリスのダブ・ミュージックの中心人物であるエイドリアン・シャーウッドAdrian Sherwood(1958― )をプロデューサーに迎え、ソロ・アーティストとして活動している。
ポップ・グループはその活動期間の短さにもかかわらず、パンク以降のブリティッシュ・ロック・シーンに、本格的なダブの手法を持ち込んだことによってロック史に名を残した。彼らの影響はロックのみならずクラブ・ミュージックにも受け継がれ、とりわけ彼らの出身地であるブリストルからは、マッシブ・アタック、ポーティスヘッドなど、「ブリストル派」ともよばれるダブ色の強いグループが1990年代以降も多く出現している。
[増田 聡]