改訂新版 世界大百科事典 「マイエット」の意味・わかりやすい解説
マイエット
Paul Mayet
生没年:1846-1920
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ドイツ人、お雇い外国人教師。渡欧中の木戸孝允(きどたかよし)に郵便貯金制度を説いたのが機縁で1876年(明治9)来日。東京医学校のドイツ語教師、大蔵省・太政官(だじょうかん)会計部・駅逓(えきてい)局の各顧問、農商務省調役などを歴任した。この間、郵便貯金、火災保険、農業保険、公債の諸制度や備荒貯蓄法、統計院や会計検査院設置などの建議、立案に尽くした。1893年帰国し、ドイツ統計局員となった。その主著として『日本家屋保険論』(1878)、『日本公債弁』(1880)、『農業保険論』(1890)、『日本農民ノ疲弊及其(その)救治策』(1893)が有名。
[梅溪 昇 2018年8月21日]
『斎藤鉄太郎他訳『日本振農策・日本農民ノ疲弊及其救治策』(『明治大正農政経済名著集 3』所収・1975・農山漁村文化協会)』
(田中学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…政府直営の勧農事業がめざす洋式農法の日本への移植も,稲作を中心とする小農経営中心の日本農業の体質を変えることはできず,1880年代後半以降,寄生地主制の進展とその拡大により勧農政策は後退し,また大農法も日本農業に浸透しなかった。80年代後半に井上馨やドイツ人マイエット,フェスカら少数の人たちが大農論を提唱したがそれも根づかず,大農法は,たとえば政商三菱の直営農場として発足した小岩井農場(1891設立)などの例外を除いて,成功しなかった。【石塚 裕道】
【中国】
中国では農業社会の確立に伴って神農・后稷(こうしよく)などの農業神話を生んだ。…
※「マイエット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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