マイツェン
August Meitzen
生没年:1822-1910
ドイツの統計学者。農業史や集落地理学への貢献が大きい。ブレスラウ(現,ブロツワフ)に生まれ,法律学を学び,1853-56年ヒルシュベルクの市長として活躍後,プロイセンおよびドイツ統計局長官を経て,72年ベルリン大学統計学教授となる。《プロイセンの土地と農業問題》(1868-72),《海外へのドイツ人の拡散》(1879),《ドイツ家屋》(1882),および大著《西・東ゲルマン,ケルト,ローマ,フィン,スラブ諸民族の集落と農業事情》4巻(1895)を公刊し,ヨーロッパの塊村(集村)をゲルマン,散村をケルト,環村をスラブ族固有の集落形態とみなした。地籍図に即した集落・農地の研究方法は,官吏時代の現地探訪の経験を生かしたもの。その方法や学説は,地理学の畑でA.キルヒホフやO.シュリューターによって注目されて以降,文化景観研究の出発点となる。社会経済史への影響も大きい。地表の諸形態が生活様式や社会経済とともに可変のものであるとする形態発生学の立場は,マイツェン説への批判の形で成立した。
執筆者:水津 一朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
マイツェン
Meitzen, Friedrich Ernest August
[生]1822.12.16. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1910.1.19. ベルリン
ドイツ農制史の研究家,統計学者。ハイデルベルク,テュービンゲン大学などで学び,1848年プロシア王国大蔵省に入り,のちヒルシュベルク市長 (1853) ,ドイツ帝国統計局参事官 (72) ,ベルリン大学教授を兼任 (75) 。実態調査に基づく『プロシア国家の土地と農業事情』 Der Boden und die landwirtschaftlichen Verhältnisse des Preussischen Staates nach Gebietsumfang vor1866 (68~71) ,『西ゲルマン,東ゲルマン,ケルト,ローマ人,フィン人,スラブの村落と農業制度』 Siedlung und Agrarwesen der Westgermanen und Ostgermanen,der Kelten,Römer,Finnen und Slawen (3巻,96) の代表的著作は,農政史,特にドイツの農政史の研究者に高く評価されている。
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マイツェン
まいつぇん
Friedrich Ernst August Meitzen
(1822―1910)
ドイツの農業史家、統計学者。ブレスラウ(ブロツワフ)に生まれる。プロイセンの行政官として農民解放や地租査定の業務に携わったのち、プロイセンおよびドイツ帝国統計局に勤務した。1873年以後はベルリン大学統計学教授を兼ねた。農業史の史料編纂(へんさん)や統計資料の集成に功績があり、主編著『プロイセンの土地と農業事情』8巻(1868~1908)がある。
[坂井榮八郎]
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マイツェン
生年月日:1822年12月16日
ドイツ農制史の研究家,統計学者
1910年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のマイツェンの言及
【集落地理学】より
…その後O.シュリューターの北東チューリンゲンの研究(1903)やブランシャールのグルノーブルの都市研究(1911)などによって,大縮尺の地形図,古地籍図,文献などを利用した現地調査に基づく実証研究の基礎が固められた。前者の方法論に具体的な示唆を与えたのが,農業史家マイツェンA.Meitzenのヨーロッパ全土にわたる集落形態の分析(1895)である。またグラートマンR.Gradmannは20世紀初頭から南ドイツをフィールドとして植物群落と居住との諸関係について歴史地理学的考察を進め,1910年代以降の集落研究に大きい影響を与えた。…
【集落】より
…
[集落形態]
集落形態は,集落を構成する家屋の形態とその配置,居住パターン,耕地と家屋との関係,土地割,道路網などの要素が,民族の生活様式や,その自然環境に応じた居住様式により,さまざまな集落景観として表出したものであり,地域によりさまざまな特色を示す。 村落の形態について最初に最も詳細に分類したのは,ドイツのA.マイツェンの《西ゲルマン,東ゲルマン,ケルト,ローマ,フン,スラブ諸族の集落と農法》であり,次の五つに分けている。(1)集村Gewanndorf 耕作農民の数に等しく割られた耕牧地から構成される,いくつかの大割Gewannからなるのでこの名称がある。…
【集落地理学】より
…その後O.シュリューターの北東チューリンゲンの研究(1903)やブランシャールのグルノーブルの都市研究(1911)などによって,大縮尺の地形図,古地籍図,文献などを利用した現地調査に基づく実証研究の基礎が固められた。前者の方法論に具体的な示唆を与えたのが,農業史家マイツェンA.Meitzenのヨーロッパ全土にわたる集落形態の分析(1895)である。またグラートマンR.Gradmannは20世紀初頭から南ドイツをフィールドとして植物群落と居住との諸関係について歴史地理学的考察を進め,1910年代以降の集落研究に大きい影響を与えた。…
【土地割り】より
…なお,都市内部の街路や家々の配列からなる土地割りを,とくに町割りと呼ぶ場合がある。 土地割りに関してA.マイツェンが,1895年に[地籍図]に即して集落と農地の研究を著した。彼は,諸民族の集落と農業事情についての大著において,土地割りと社会制度,集落形態との間に対応関係があることを指摘し,土地割りから,過去の農村について社会的・経済的構造の分析を試みた。…
※「マイツェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」