バルナ(読み)ばるな(英語表記)Varna

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ(古代インドの四大階層)
ばるな
vara

古代インドで形成された社会階層概念で、バラモン(司祭階層)、クシャトリヤ(王族・武人階層)、バイシャ(庶民階層)、シュードラ(上の3バルナに奉仕する階層)の四つからなる。インド最古の文献『リグ・ベーダ』のなかの「原人の歌(プルシャ・スークタ)」では、原人(プルシャ)を犠牲として神々が祭祀(さいし)を行ったとき、原人の頭からバラモンが、腕からクシャトリヤが、腿(もも)からバイシャが、足からシュードラが生まれたとされている。この歌は、後から『リグ・ベーダ』に挿入されたものとみなされているが、それでも、紀元前800年ぐらいまではさかのぼるので、4バルナ社会理論がこのころまでには形成されていたことになる。この社会理論を生み出したのはバラモン階層であり、いち早く社会集団として形成され始めたバラモンが自己にとって望ましい、あるべき社会の姿をこれによって表現したものと考えられる。したがって、これが当時の社会の実態をどれほど反映しているかという点には疑問の余地がある。とくに、上位の3バルナを再生族(学問を始める儀式であるウパナヤナ=入門式を受けることによって二度生まれる者という意)、シュードラを一生族(ウパナヤナを受けないので一度しか生まれない者の意)として、バイシャとシュードラの間に大きな区分を設けているが、この両者の区分は実際には曖昧(あいまい)なものだったのではないかと考えられている。また、これら四つのバルナの下に、被差別民(賤民(せんみん))のさまざまな集団が存在した。その代表的なものは漢訳仏典に旃陀羅(せんだら)と音写されたチャンダーラである。しかし、もっとも有名な古典の法典である『マヌ法典』(紀元前後に今日の形をとった)は「第五のバルナは存在しない」として、これらの被差別民諸集団を社会の正規の構成員として扱っていない。ここにも、バルナ社会理論のもつ「理念性」をみることができる。

[小谷汪之]

『山崎元一著『古代インド社会の研究』(1987・刀水書房)』『小谷汪之著『不可触民とカースト制度の歴史』(1996・明石書店)』『渡瀬信之著『マヌ法典――ヒンドゥー教世界の原型』(中公新書)』


バルナ(ブルガリア)
ばるな
Varna

ブルガリア北東部、黒海沿岸の港湾・工業都市。バルナ県の県都。人口32万0668(2001)。

[寺島憲治]

地誌

1949年から57年まではスターリンStalinとよばれた。造船、機械、繊維、食品工業が盛んである。海運の中心地で、幹線鉄道ソフィア―バルナ線の終点。国際空港を備え、黒海の保養地の拠点である。市内には、ローマ時代の大浴場などの遺跡があり、劇場、歴史博物館、民俗博物館、大学も設置されている。バルナ湖の北岸にはバルナ遺跡がある。

[寺島憲治]

歴史

紀元前6世紀の古代ギリシアの植民市オデッソスOdēssosにさかのぼる。7世紀からバルナというスラブ語名でよばれる。8世紀末に第一次ブルガリア帝国の版図に入り、一時、ビザンティン帝国領になったが、13世紀初頭にふたたびブルガリア領となり、ベネチアジェノバの商船が来航して繁栄した。1444年に、オスマン軍はこの地でキリスト教徒連合軍を破り、バルナは最終的にオスマン帝国の支配下に入ったが、引き続き黒海貿易の拠点として栄えた。1828~29年のロシア・トルコ戦争で、バルナはロシア軍に3か月包囲されてオスマン帝国の敗北に終わり、この地のキリスト教徒住民の一部はベッサラビアと南ロシアに移住した。クリミア戦争(1853~56年)時には、ロシア軍と戦うフランス、イギリスの部隊の基地が置かれ、バルナはヨーロッパ列強の角逐にさらされた。1878年、ブルガリアがオスマン帝国から独立を果たすと、トルコ系住民が流出し一時的に人口が減少したが、1880年にはオスマン帝国領の東トラキア、84年にはバルカン山脈のコテル地方からブルガリア人が移住し、第一次世界大戦後には敗戦で失われたマケドニアから難民が移住した。社会主義時代には工業化と観光事業が推進されて人口は急速に増大し、ソフィア、プロブディフに次ぐブルガリア第三の都市に発展した。

[寺島憲治]


バルナ(古代インドの神)
ばるな
Varua

古代インドの神。インド最古の聖典『リグ・ベーダ』において、讃歌(さんか)の数こそ少ないが、インドラ(帝釈天(たいしゃくてん))とともに重要な神である。契約の神であるミトラと対(つい)でたたえられる場合が多い。バルナとミトラの名は、インドラ、ナーサティヤ(アシュビン双神)とともに、紀元前14世紀中葉のミタニ・ヒッタイト条約文にあげられているから、メソポタミアにおいても信仰の対象であったことがうかがわれる。インドラが代表的なデーバdeva(神)であるのに対して、バルナは典型的なアスラasura(阿修羅(あしゅら))である。アスラは、後代のインドにおいては悪魔とみなされたが、元来は至高の神で、古代イランにおいて、アフラ(アスラの古代イラン語形)の代表者アフラ・マズダーは、おそらくゾロアスターの宗教改革の結果、最高神となった。バルナの神性はアフラ・マズダーに対応するとされる説が一般的であるが、バルナとマズダーは別のアスラ(アフラ)であるとする説も有力である。また、ギリシア神話の天空の神ウラノスと語源的に関係があるとする説もあるが、疑わしい。バルナは宇宙の秩序と人倫の道を支配する司法神であった。彼は天則リタの守護者で、あらゆる場所で人々の行為を監視し、リタに背く者を罰する。彼は最初から水との関係が深かったが、後代、水との結び付きがますます強くなり、ついには単なる水の神、海上の神となった。方位神の一つとして西方を守護するとみなされる。仏教に取り入れられて「水天」と漢訳された。

[上村勝彦]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ
Varna

ブルガリア北東部,バルナ州の州都。黒海西岸のバルナ湾北岸に位置する。前6世紀ギリシア人により建設されてオデッソスと呼ばれ,第1次ブルガリア帝国時代 (681~1018) に現在名となった。 1389年オスマン帝国領となったが,露土戦争の結果,1878年再びブルガリア領となった。ソフィアと鉄道で結ばれ (1888) ,近代的な港湾が建設された (1906) のち急速に発展。ブルガリアの水運の半分近くを扱う。造船,製粉などの工業も立地。ブドウ栽培の中心で,ワインを産する。広い並木道,海岸公園,近代的施設のある海水浴場があり,北にはバルナ湖があって,一帯は観光保養地。第2次世界大戦後,一時 (49~56) 市名をスターリンと変えた。人口 31万 4913 (1991推計) 。

バルナ
Varuṇa

インド神話における天空の神,水を支配する神。やがて律法の維持者とされ,仏教に取入れられて十二天または八方天の一つとして,西方を守護する水の神 (水天) と考えられている。普通は五竜冠を戴いて亀に乗り,水中に住む竜王の形で表わされ,左手に竜索,右手には剣を持つ。密教では金剛界曼荼羅の四大神,または外金剛部の二十天の一つ。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院に位置する。

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