リンカーン(読み)りんかーん(その他表記)Abraham Lincoln

デジタル大辞泉 「リンカーン」の意味・読み・例文・類語

リンカーン(Lincoln)

米国ネブラスカ州南東部の都市。同州の州都。旧称ランカスター。1867年、州への昇格時に州都となり、大統領リンカーンにちなんで改称。鉄道交通の要地で、穀物の集散地として発展。ネブラスカ大学が所在する。リンカン。

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精選版 日本国語大辞典 「リンカーン」の意味・読み・例文・類語

リンカーン

  1. [ 一 ] ( Abraham Lincoln エイブラハム━ ) アメリカ合衆国第一六代大統領(在任一八六一‐六五)。ケンタッキーの農民の子。一八六〇年、共和党から大統領に当選。南北戦争を指導して勝利を得、民主主義の伝統と連邦制を守った。人道主義に基づき奴隷制度廃止を主張、六三年に奴隷解放宣言を行なった。同年のゲティスバーグの演説で「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の原理を示すことばを残した。六五年、南北戦争終結直後に暗殺された。(一八〇九‐六五
  2. [ 二 ] ( Lincoln ) アメリカ合衆国のフォード‐モーター社製の大型高級乗用車の商標名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リンカーン」の意味・わかりやすい解説

リンカーン(Abraham Lincoln)
りんかーん
Abraham Lincoln
(1809―1865)

アメリカ合衆国第16代大統領(在任1861~1865)。開拓農民だった父トーマスと母ナンシーの第2子(第1子は長女セラ)として、2月12日にケンタッキー州のホッジェンビル付近の丸太小屋で生まれた。独立戦争が終わったころバージニア州から辺境のこの地方に移住してきた祖父(トーマスの父)の名前をとって、エイブラハム(アブラハム)と名づけられた。

[本田創造]

川舟乗りから政治家へ

その後、一家は当時の西方への開拓の波にのり、ケンタッキー州からインディアナ州へ、さらにイリノイ州へと移住した。リンカーンが幼年期を奴隷州で、青少年期以後を北西部の自由州で過ごしたことは、後年の彼の政治経歴に重要な影響を与えている。辺境での生活のため、彼は正規の学校教育をほとんど受けることなく自学自習した。川舟乗り、雑貨商、郵便局長、測量技師などの職を転々としたのち、1834年にイリノイ州の下院議員に選出され、1842年まで連続4期、州の政治に関与した。また、この間に法律を修得し、1837年に友人と共同してスプリングフィールドで弁護士業を始めた。1842年にメアリー・トッドと結婚、1846年にはホイッグ党から選出されて合衆国下院議員を一期務めた。

 リンカーンはその後しばらく政治から遠ざかるが、1850年代に入って南北間の政治的緊張がいっそう激化し、1854年にイリノイ州選出の民主党上院議員のスティーブン・A・ダグラスミズーリ協定の原則に違反するカンザス・ネブラスカ法案を国会に上程すると、これに反対して政界に復帰した。1858年の中間選挙では、奴隷制拡張反対を党是とした結成後まもない共和党から上院議員に立候補して民主党のダグラスと国会での議席を争った。このとき、8月から10月にかけてイリノイ州の7都市で行われた一連の立会演説会で奴隷制問題を主軸にした論戦が展開されたが、これは「リンカーン‐ダグラス論争」として有名である。リンカーンは当選こそ逸したが、この論争によって彼の政治的資質は全国的に知れわたり、敗北したこの選挙が2年後の大統領選挙で彼に勝利をもたらす地ならしとなった。

[本田創造]

南北戦争

1860年11月、リンカーンの大統領当選が南部諸州の連邦分離の合図になったように、翌年4月、南部連合軍によるサムター要塞(ようさい)の攻撃が南北戦争の発火点となった。これに対し、リンカーンはただちに7万5000人の志願兵の募集や南部の海上封鎖を命じたものの、この戦争の目的はあくまでも連邦の統一を護持するための「防衛戦争」と受け止めていた。彼は奴隷制拡張には反対だったが、現存する奴隷制度に干渉するつもりはなかった。リンカーンが奴隷解放のことを真剣に考えるようになるのは、戦争が長期化し、奴隷解放を求める北部の世論が高まり、国際的にも連邦の大義を表明しなければ北部の軍事的勝利もむずかしいと悟った1862年の夏近くになってからのことである。なによりも、南部連合に加担しなかった境界奴隷諸州への政治的配慮もあって、奴隷解放はその年の9月にまず予備宣言として発せられ、3か月余の猶予期間ののち、翌年の1863年1月1日に奴隷解放宣言として公布された。この宣言は反乱諸州を対象にしたもので、連邦に忠誠だった奴隷州やすでに北軍の占領下にあった地域の奴隷には適用されないという限界をもっていたが、それにもかかわらず奴隷解放宣言の歴史的意義は大きかった。これを機に、以後、南北戦争は奴隷解放の革命戦争として展開されることになる。同年の11月、リンカーンはゲティスバーグで、「人民の、人民による、人民のための」政治の保持を訴えて国民の戦意を高揚し、1864年の大統領選挙で再選をかちとった。

[本田創造]

再建の課題を残して

リンカーンの戦後再建計画は反乱諸州に対してきわめて寛大で和解的なものだったが、彼は自分の再建計画の実現をみる前に、1865年4月14日の夜、ワシントンフォード劇場で観劇中に、狂信的な南部の同調者だった俳優J・W・ブースに狙撃(そげき)され、翌朝、56歳の生涯を閉じた。南北戦争終結の5日後のことである。

[本田創造]

『猿谷要著『リンカーン精神――アメリカ民主主義百年の吟味』(1965・弘文堂)』『ゲリー・ウィルズ著、北沢栄訳『リンカーンの三分間――ゲティズバーク演説の謎』(1995・共同通信社)』『本間長世著『正義のリーダーシップ――リンカンと南北戦争の時代』(2004・NTT出版)』『K・C・ホイーア著、小原敬士・本田創造訳『リンカン――その生涯と思想』(岩波新書)』『本間長世著『リンカーン――アメリカ民主政治の神話』(中公新書)』『井出義光著『リンカーン――南北分裂の危機に生きて』(清水書院・清水新書)』『高木八尺・斎藤光訳編『リンカーン演説集』(岩波文庫)』『内田義雄著『戦争指揮官リンカーン――アメリカ大統領の戦争』(文春新書)』



リンカーン(イギリス)
りんかーん
Lincoln

イギリス、イングランド中東部、リンカーンシャー県の県都。ウィザム川沿いの台地上に位置する。人口8万5616(2001)。有史前から集落が営まれ、ローマ時代の植民市を経て、中世には商業中心地、司教座所在地として栄えた。現在は、内燃機関、トラクター、自動車部品、食品などの諸工業も盛んである。11世紀当時の城や、11~14世紀にかけて建設されたリンカーン大聖堂、ギルドホールなど、由緒ある建物が多い。

[井内 昇]


リンカーン(アメリカ合衆国)
りんかーん
Lincoln

アメリカ合衆国、ネブラスカ州南東部の都市で、同州の州都。人口22万5581(2000)は、オマハに次いで同州第2位である。周囲をコムギ栽培と放牧地帯に囲まれた商・工業の中心地で、交通の要衝でもある。ゴム、タイヤ、電気、製粉など多種工業が発達し、保険業の進出が目覚ましい。また、ネブラスカ大学(1869創立)やネブラスカ・ウェズレー大学(1887創立)などが集まって落ち着いた大学都市を形成しており、多くの文化・教育施設が集中する。1864年にランカスターとして誕生したが、ネブラスカが州に昇格した1867年に州都となり、大統領リンカーンにちなんで改名され、69年より市制が施行された。1932年に完成した議事堂は、133メートルもの高さの円柱がそびえ立ち、市のシンボルとして親しまれている。

[作野和世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リンカーン」の意味・わかりやすい解説

リンカーン
Lincoln, Abraham

[生]1809.2.12. ケンタッキー,ホッジェンビル
[没]1865.4.15. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 16代大統領 (在任 1861~65) 。ケンタッキー州の農民の子として生れ,インディアナ州,次いでイリノイ州に移り,ニューセーレムで商店の経営,測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を勉強,1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。 34~40年ホイッグ党イリノイ州議会議員となり,46年連邦下院議員に当選,一期 (47~49) をつとめて引退。 54年カンザス=ネブラスカ法の成立に憤激して政界復帰を決意し,共和党の結成に参加。 58年 S.ダグラスを敵として連邦上院議員候補となり,敗北はしたが7回にわたって行われた「リンカーン=ダグラス論争」によって全国的に有名となった。 60年共和党の大統領候補に指名され,当選。南北対立の激化を前にリンカーンは連邦の維持を政策目的として努力したが,61年4月には南北戦争が開始された。戦況は初め北軍に不利であったが,62年9月戦況が好転しはじめた。同月 22日奴隷解放予備宣言を公布,63年1月1日に奴隷解放宣言を発布し,反乱状態にある南部諸州の奴隷解放を宣言。軍事的に後方攪乱をはかるとともに北部,あるいは海外の世論を味方につけ,南部連合側とイギリスの同盟をはばんだ。戦争中の 64年大統領選挙で再選。戦争が終りに近づくにつれ,寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画したが,南軍 R.リー将軍降伏 (65.4.9.) 後,65年4月 14日フォード劇場で観劇中,南部人俳優 J.ブースによって撃たれ,翌朝死亡した。

リンカーン
Lincoln

イギリスイングランド東部,リンカーンシャー県の県都。リンカーン地区を構成する。ロンドンの北約 200kmにあり,石灰岩丘陵リンカーンエッジにウィザム川が峡谷を刻む地点に位置する。ローマ時代にはリンドゥム Lindumと呼ばれ,ロンドンからヨーク方面に通じる主要街道に沿う要塞として建設され,71年植民市となった。中世までにはイギリスの主要都市の一つに発展。1154年最初の勅許状が与えられ,羊毛や皮革製品を交易する市場町として繁栄。18世紀以降,周辺の低湿地帯が排水されて農業地帯となってからは農産物の集散地として発展。今日では豊かな農業地帯を控えた商業中心地であるとともに,工業都市でもあり,農業と関連した食品,農業機械などの工業を中心に,重工業が立地する。ローマ時代の市壁跡,中世のノルマン朝時代の城,イギリス・ゴシック様式リンカーン大聖堂などが保存されている。面積 36km2。人口 8万5963(2001)。

リンカーン
Lincoln, Benjamin

[生]1733.1.24. マサチューセッツ,ヒンガム
[没]1810.5.9. ボストン
アメリカ独立革命期の軍人。 1755~76年マサチューセッツ民兵軍に参加。独立戦争に少将として活躍。サラトガの戦いで戦功を立て,南部方面独立軍司令官となってチャールストンで戦ったが,降伏し捕虜となった。交換釈放後ヨークタウンの戦いで活躍。 81~83年連合会議 (→大陸会議 ) の陸軍総監。 87年マサチューセッツ政府軍を率いて D.シェイズの反乱を鎮圧。 88年マサチューセッツ邦副知事。 89~1809年ボストン港関税徴収官。

リンカーン
Lincoln, Mary Todd

[生]1818.12.13. ケンタッキー,レキシントン
[没]1882.7.16. イリノイ,スプリングフィールド
アメリカ第 16代大統領 A.リンカーンの夫人。イリノイ州スプリングフィールドでリンカーンに会い,1842年 11月4日に結婚した。4人の息子があったが,長男以外,みな夭折した。感情の起伏が激しい女性で,南部に親類がいたことや,浪費癖があったことなどのため,国民には不人気であった。 70年以降年金を給与されたが,75年精神障害者と認定された。

リンカーン(伯家)
リンカーン[はくけ]
Lincoln, Earls of

イギリスの貴族の家柄。 1139年頃 W.ドービニーが最初の伯に叙せられ,以後この伯位は有力貴族の家を転々とし,またときに廃止されたりした。 1399年リチャード2世を廃して即位したランカスター家のヘンリー4世は,即位前は同伯であった。 1572年クリントン家に与えられ,以後その子孫が継承し,1768年9代伯のヘンリーがニューカッスル公になって以来,伯号はニューカッスル公の長子の称となって現在にいたっている。

リンカーン
Lincoln

アメリカ合衆国,ネブラスカ州の州都。州南東部で,オマハの南西 88kmに位置する。 1859年建設,ランカスターと称した。 67年にネブラスカ州が成立したとき,A.リンカーン大統領にちなんで改称。穀物の集散地で,主産業は製粉業,コムギ貯蔵業。鉄道交通の中心地で,鉄道関連産業が発達。工業用ゴム,農業機械,軽自動車の生産も重要。ネブラスカ大学 (1869創立) ,ネブラスカウェスレイアン大学 (87) がある。人口 25万8379(2010)。

リンカーン
Lincoln

アメリカ合衆国,イリノイ州中央部にある都市。スプリングフィールドの北東約 50kmに位置する。 1835年入植が始り,地名は A.リンカーンにちなんで命名。周辺は農業と炭田地域が占める。バターの生産,養鶏,石炭の採掘が主産業。軽工業もいくらか行われている。カーネギー図書館,リンカーン・カレッジがある。人口1万 5418 (1990) 。

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デジタル大辞泉プラス 「リンカーン」の解説

リンカーン

2012年製作のアメリカ映画。原題《Lincoln》。奴隷解放を成し遂げたエイブラハム・リンカーンの闘いを描く伝記映画。監督:スティーブン・スピルバーグ、出演:ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド、デヴィッド・ストラザーン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジェームズ・スペイダーほか。第85回米国アカデミー賞作品賞ノミネート、主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、美術賞受賞。

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