現代外国人名録2016 「マルチナナブラチロワ」の解説
マルチナ ナブラチロワ
Martina Navratilova
- 職業・肩書
- テニス選手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1956年10月18日
- 出生地
- チェコスロバキア・プラハ(チェコ)
- 受賞
- 1980年代女子最優秀スポーツ選手(米国)〔1989年〕
- 経歴
- 19歳まで母国で英才教育を受ける。1975年米国へ亡命(’81年に国籍取得)。’75年プロデビュー。’78年全英オープン(ウィンブルドン)初優勝し、7月世界ランキング1位となる。’79年ウィンブルドン2連覇。’83年全英オープン、全米オープン、全豪オープンで優勝、’84年の全仏オープンに勝って“グランドスラム”を達成。’84年にはシングルスで74連勝という記録を残し、’85年は全豪、全英に優勝、’86年と’87年は全英、全米にそれぞれ連勝し、全く他を寄せつけず、’80年代はまさにテニス界の女王として君臨した。’88年以降は一時新鋭に女王の座を明け渡すが、’90年全英で史上最多9度目の優勝を果たす。’94年11月バージニアスリムズ大会を最後にシングルスから引退。’96年ダブルスからも引退するが、2000年復帰。2003年1月全豪混合初優勝を飾り、46歳3ケ月で4大大会の最年長優勝記録を更新するとともに4大大会全種目制覇を達成。2004年5月全仏オープンで10年ぶりにシングルスに出場。6月ウィンブルドンのシングルスで10年ぶりの勝利を挙げる。同年アテネ五輪の米国ダブルス代表として、オリンピックに初出場。2006年全米オープン混合ダブルス優勝を最後に、2度目の引退。ウィンブルドン6連覇を含む4大大会18勝、シングルスツアー通算成績は史上最多の167勝とテニス史に残る偉業を成し遂げた。この間、1994年夏、女子テニス協会(WTA)選手会会長に就任。’97年フェド杯の監督。2000年国際テニスの殿堂入り。著書に「テニス・マイ・ウェイ」(1984年)がある。173センチ、58キロ。左利き。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報